2011年12月31日

平成23年大晦日

今年もあと僅かを残すばかりになった。
なぜか年々お正月を迎える気分にならない度合いが強くなってる気がするが、お正月を迎えるため昨日からお餅つきを手伝ったりウラジロを採りに行ったりお節料理つくりの手伝いをしている。

今年は、震災それに続く原発問題と重苦しい年だった。
心は(当然だけど)うつるようで、暫く腑抜けたように時間が経った。
政治家の言葉は胡散臭いばかりで大本営発表体質が未だあることを確認もした。
そんなことで、ネットで調べる癖がついた。
学者も一部を除いて無難なことを言う御用学者しかテレビに出ないから嘘くさい。
放射能は人工のも自然のも同じだからってテレビで繰り返して言っている。
それはそうかもしれないが、自然界にある放射性カリウムはカリウムが人体から排出されて蓄積されないように身体ができてるとかで、放射性ヨウ素なんてものは自然界にないらしくそういう安全なヨウ素は人体に蓄積して利用するようになってるなんてことは、ネットを調べると出てくるがテレビでは言ってくれない。セシウムもヨウ素と同じらしい。
ベクレルの強弱も大事だけど、自然界にない放射性物質は蓄積されるからどうしたらいいのだろう。
どうせ防ぎようがないから知らない方がいいと思ってるとしたら、国民を馬鹿にしてるのかと気分が悪い。
増税問題もそうだ。
議員の歳費は?公務員の給料は?
バンクーバーは消費税が15%前後あったから消費税が上がることに抵抗はそんなにないが、あちらは相続税はないし所得税は住民税(呼び方は違うけど)を含め最高50%だった。
そんなに稼いでいないので所得税が上がっても関係ないが、消費税を上げるならやっぱり半々でないと感覚的におかしい気がする。
低所得者の不満に配慮してなんて言って火事場泥棒のように節操のないことをしないでほしい。
税の一体改革ならなおのことだろう。
東電が電気料金を値上げしたいと言ったときおかしいと思った人も多いだろう。
幹部クラスの給料を事故後半分にしたらしいが、国有化されかけてるのに半分でもウン千万円もらってる。
政府も企業幹部も皆で力を合わせて頑張ろうなんて人間の優しさにつけ込んで自己犠牲は弱者に強いて自分らはぬくぬくしながら済まそうと思ってるに違いない。
馬鹿たれ!!

なんて思ってると精神的に悪いので傍観者として一年を過ごしていたように思う。

来年は、辰年。それも壬辰。
還暦です。
まずは厄払いをして、ちょっと人生を振り返るとこれからの人生豊かになる気がする。
人が幸せを感じる四大元素というのがあるそうで、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること、の4つだそうだ。
そして人を幸せにする方法として、人を愛すること、人を褒めること、人に感謝すること、人を必要とすること、ということらしいが人を幸せにすると自分も幸せになるという法則が働くそうだ。

新年は、政治家や東電の幹部のことはひとまず忘れ、まずは、人を幸せにする方法を生活に取り入れるよう努めよう。

更新滞りましたが、今年一年読んでくださってありがとうございました。
新年が皆さんにとって良い年でありますよう祈っています。
  

Posted by 江龍武 at 19:15Comments(2)

2011年11月11日

新ヘパリーゼプラス

9日からタイに遊びに行く予定を立てていたが、ご存じの通りの洪水でぎりぎりまで結論を出さないでいたもののついに11月1日に断念したのだが、向こうで会う予定だったバンクーバーの知人KMさんも東京で事態を見守っていてやはりキャンセルすることになり先日時間ができたからと遊びに来た。
KMさんは、私がバンクーバーにいたころはお寿司屋さんをご夫婦でやっておられた。
ご主人は今はタイの日本食店で働いていて、そのご主人に出会いに行きがてら私たちとバンコクで会おうということになっていた。
バンクーバーから他に友人夫婦とKMさんの友人一人とバンコクにいるKMさんのご主人、日本食レストランのオーナーで友人のDYさんを加えての計8人が一堂に会することになっていたので本当に今回は残念な結果になった。
それはともかく、KMさんが一泊したのでいろいろ話したのだが、KMさんが薬剤師の資格を持ってることを初めて知った。
そのKMさんが今回教えてくれたことがある。
日本からアルコールに弱い友人がカナダに来たので一緒にワイナリー巡りをしたときに、友人がこれを飲むと二日酔いにならないという日本からの錠剤をその友人だけでなくお酒に強いKMさんも飲んで二人で連日楽しんでいたということだった。
そして最後の日にKMさんがへつったものだから友人の飲むのがなくなり、その友人は明くる日ひどい悪酔いという結末だったらしい。
私の妻もそんなに強くないので役に立つかと名前を教えてもらった。
「新ヘパリーゼプラス」
ドラグストアーならどこでも置いてるということだった。
さっそく忘れるといけないと先日買ってきて飲んでみた。
その前に、KMさんだけでなく他にもバンクーバーからSHさんの2回目の訪問やKHさんの訪問が短期間にあったので外食で飲むことも多く、肝臓が弱っているかもと思いオルニチン入りのキリンのノンアルコールビールを一本飲んで肝臓を気遣っていた。
以前オルニチン入りノンアルコールビールを2日続けて飲んだら2日目に夜寝られなくなった経験があったので、オルニチン入りは1日だけにしていたのだが、確かその翌日だったか明後日だったか上記の新ヘパリーゼを2錠夕食時に飲んだら、2日続けてオルニチン入りを飲んだ時と同様夜寝られなくなってしまった。
それで、これは肝臓にやはり効くようだと思った次第。
妻も飲んだが、その日はよく寝たようだったが、やはり2日目からは夢をよくみるようになったようで熟睡できてないようだった。
アルコールを飲んでないので二日酔いに効くかどうかはまだ確かめてないのでそちらの方は今のところ何とも言えないが、他に変わったことといえば、妻も私も顔がつるつるになったようだ。
母もくたびれてるようなので肝臓に効くからと勧めたが他にもなんやかや飲んでるし私はいいと言ってたのに、顔がつるつるになるという話を妻がしたら一転して飛びついた。
そして翌朝、あれ飲んだら体がしゃんとしたように思うし顔に張りが出たようだとよろこんでいた。
そんなことで、私も昨日は木を切り倒すなどして疲れていたので、寝られなくなるかもしれないが肝臓を元気にしようと1錠だけ飲んだのだが、昨晩はよく寝られたし、朝、顔もまたもやすべすべしたように思っている。
昨晩飲む前に改めて何が入っているんだろうと確認したら、肝臓水解物という最初気にも留めなかった成分が大半だった。
インターネットで今回は調べたら、肝臓水解物でお肌がつるつるになるらしい。
これはお勧めかな?
  

Posted by 江龍武 at 14:19Comments(0)健康法・情報

2011年10月23日

復食失敗

18日のブログでもう大丈夫と書いたのに夜ひどい腹痛に襲われた。

18日の朝はコーヒーを飲んだがそれが悪かったんだろうか?
昼に母が卵焼きを作って置いておいたのでまだ蛋白質は早いかと思いながらもせっかくの親切心を無下にするのも駄目なような気がして食べたせいだろうか?
そのとき同時に栗ご飯の残りをお粥にしてもらったのがほんの少しだが傷みかけてる気がしたけど・・・
などなど色々腹痛で苦しみながら考えたが、食べてから腹痛までの時間などから考えると夕食時飲んだお茶が原因のように思われた。

若いときからお茶刈りをするとその匂いで船酔いのような状態になった。
あるときは、お茶を粉状にしたのをいただいて飲んだら今回と同じような腹痛で死ぬほど苦しんだことがある。

どうも私はお茶に少しアレルギーなのだろう。
その夕食まではその朝のコーヒーを除いて白湯を飲んでたのだが、コーヒーを飲んだことで少し気が緩んでいたようだ。

面白いことに、飲まず食わずの断食中は喉も乾かず脱水症状という感じにならなかったが、腹痛で下痢が始まるなりすぐに唇がからからになってしまった。
それで、今回は水分を補給した方がいいと思って、妻に白湯を持ってきてもらって便座に座りながら飲んでいた。

座りながら、腰痛で死ぬほど痛い目にあい、今度はまた腹痛で死ぬほどの苦しみを味わうなんて、命が危ないのだろうかなんて弱気な感情が芽生えたので、以前YYさんが教えてくれた「三脈の法」というのをやってみてまだ大丈夫そうだと思ったりしていた。

腹痛もなんとか一晩過ぎるとほぼ治り、少し注意しながらまた復食をしていたら20日にバンクーバーの友人のHさんの突然の来訪を受けることになった。

Hさんと私は飲み友達だからどうなることかと案じたが、案ずるよりは産むが易しで、最初お猪口に一杯ほどビールを口にしてそれを体が受け入れるのを待ってまた少しというようにしていたら、最後の方は普通に飲めるようになっていた。
心の片隅ではそれでも腹痛のことが気がかりでまた起こるかとびくびくものだったが、何事も起こらず次の日を迎えられてホッとした。

お茶はまだそれ以来飲んでいない。
アルコールもあれはお付き合いだったからとまだ飲まないでいる。

今日は腰痛の時に無理がかかったのか股関節が朝から痛い。
体はある意味頑丈だが、繊細なものだとつくづく思う。
  

Posted by 江龍武 at 14:59Comments(0)生活

2011年10月18日

また腰痛

腰痛でこれといった働きができず、でもやっと椅子に座っても大丈夫なようなので久しぶりにブログを更新します。

私は林の中のような所に住んでいるのだが、沢山の松や雑木が立ち枯れになっている。
それで、台風が来ると小屋も含めて建屋に倒れてくるのが心配しながら過ごすことになる。
台風12号の時はひさしのようなスレート屋根が真っ二つになった。
それを直してもらってから2日後ぐらいに台風15号がこちらに向かって来るのが分かり張り直してもらったスレート屋根がまた壊れてはもったいないと周りの立ち枯れの雑木をチェインソーで切り倒した。
ついでに父が池見小屋のような建屋を作っていた周りにも少し高めの松とミモザが立ち枯れになっていたのでそれも切り倒して15号に備え安心していた。
もう一本その近くに高さ10メートルは優に超える立ち枯れの松があったがそれはちょっと手強そうだし、その時は12号の時も大丈夫だったからということにして手をつけないことにした。
これを倒すには長いロープがいるから兄に借りてからと考えていたが、本音は、まだまだそれを思った方向に倒す自信がなかったというのが正直なところだ。
カナダで庭の木を切ったときすんでの所で家を潰すかもしれないというような事態になった経験があり木が倒れる方向を見極めるのは難しい。
15号の後始末でお二人が木の下敷きになって亡くなられたニュースもあったぐらい木を倒すのは素人には難しい。
15号が過ぎその前に倒した木を短く切っていたら小さいチェインソーに修理が必要になった。
それが直るのを待ってついでに少し大きめのチェインソーの刃があまりにちびってたのでそれも取り寄せてもらったら懸案のその高い枯れ木はともかくとしてチェインソー仕事を俄然やる気になった。
まずは畑に影を落とし、一生懸命虫取りをして食べる日を夢見て作っている無農薬の白菜の生長を妨げている、細いが高い雑木を切ることにした。
これはロープがなくても簡単に思ったほうに倒せた。
チェインソー仕事を連日すると体に良くないと思い一日置いて、今度はちょっと難しいが手すりの上に枝が出ているそう高くもない松の枯れ木と小道に横倒しになっている松を切った。
今回はロープを使ったが、思った方向にどんぴしゃで倒せた。
なんだか自信が出てきたので例の高い枯れた松も、倒れてほしい方向にどう見ても傾いてるし思った方向に倒せるだろうと思い出した。
その日は思っただけだったが、その後チェインソーオイルの小分けにしてあるのがなくなったので、また小分けにするため取りに行った場所で長いロープを見つけた時点で腹は決まった。
在庫ぐらいしっかり把握してるべきだが、父が人に働いてもらってたときその人たちが使っていた道具をしまっている所に必要なときに見に行くだけだから頭に入っていなかった。
そして10月7日ついに決行することにした。
妻に梯子を押さえてもらい下から5メートルぐらいにロープを括りつけその端を倒したい方向の20メートルほど先にある太い松に結びつけた。
逆に倒れたらこんなものでは防ぎようがないがそれは万が一にもないと思えた。
倒れる際に少し引っ張ってくれるように妻に頼んで少し緊張しながらまず横にチェインソーを入れた。
もう止められない。
地表から80センチぐらい上に入れだしたが幹はかなり太い。
その太さにちょっと不安になりながら今度は斜めにチェインソーを入れ切り倒す準備は整った。
サァー倒すぞー!と一言妻に声をかけ、思い通りにこけてくれと願いながら反対側からチェインソーを入れたら思った方向にメシッと音を出しながら動き出したので、逃げろと言いながら自分も逃げた。
本当に思った方向に倒れ二人で思わず拍手。
心底ホッとした。
それからも近くの高さ3メートルほどのツゲの木の上に倒したのでそこから落とすのに苦心したが3メートルほどに切って地面に横たえやっと一息つくことができた。
ここまでは自慢したいほど上手くいったが、腰痛はこの後始末で起こることになる。
7日はそれで終わり、8日は田に長いままで残してもらった藁を集めに行き、9日は親戚の法事で飲み10日は商工会の視察旅行で高山まで行き飲み、倒した松を短く切る作業は12日にした。
商工会の旅行のとき兄にあの松を倒したと言ったら、割り木に使えるか?と訊いたので表面が腐ってぼろぼろやけど芯はしっかりしてるみたいで使えるやろうと答えていた。
実家ではお正月のもち米を蒸すのにカマドを使うので少しだが割り木がいる。
それに春になると竹の子を茹でるのにも要る。
そんなこともあって12日まず30センチほどに短く切った後、斧を持ち出し試しに割ってみた。
最初は試すだけだったが、肩の力を抜いて当たるときに最大のインパクトを加えるようにと斧の使い方を練習したら全部してしまえという気になりしんどいながらもやり遂げた。
薪割りをし過ぎたからだろう、案の定あくる日13日朝から腰が痛かったが、雨が来るという予報だったのと芋蔓を昆布と炊きたいから買ってきてくれと母が妻に頼んでいたのを畑にあるからと止めていたのでサツマイモを掘ることにした。
腰にバラコンバンド(生ゴムチューブ)をして痛がりながらサツマイモを掘り出したのも悪かった。
15日にある近くの会社の秋祭りに招待された兄が昨年同様誘ってくれ昨年結構飲んだので体をいたわる意味もあり、腰も痛いことだし早く直るようにと13日の晩から飲まないようにして養生しだした。
それでも14日は朝から腰痛がさらにひどくなり到底畑仕事はできないが手は動くからと先日拾っておいた山栗で渋皮煮を作ろうと妻が洋裁を習いに行ってる間鬼皮を剥いていた。
夕方になると少し体がスムーズに動くのでこれなら明日は大丈夫かと思っていた。
ところが、15日朝トイレに行って、寝ぼけてるときとか酔っ払っているときは万が一のことがないように男便所を使わずに便座に座って用を足すことにしてるが、座るなりビキッと痛みがきて耐えることは到底不可能に思えすぐ立ち上がり寝室に戻ろうとしたが足が前に出せない感じでトイレの戸の所で掴まって立ちすくむしかなかった。
妻を呼び、肩を貸してもらったり父用につけた手すりを持ったりしながらほうほうの体で何とか布団の上に転がることになった。
トイレに行っても座れないならできるだけ行かないようにしないといけないし、それには食べないことだと思った。
腰痛には断食がよく効くと信じているし試してもいたので、今回は食べずは当然として飲むのもできるだけ押さえひたすら寝ることにした。
動物ならこうするしかないと思いながら寝ていた。
13日から体をいたわっていたのも良かった。
アルコールを抜いた翌日翌々日はトイレによく行くものだがそれがなかったので助かった。
夕方一回行って夜無理やり一回行ったが、それはそれは苦行でこれまた父が使っていた歩行補助具のアルミのパイプで四足になってるものを使い妻の肩も借り手すりを持ってなぜか横歩きの方が楽なので横にヨチヨチと伝い歩きをしながらトイレに行った。
立って用をたすしかないがその立つことすら痛いので妻に後ろから抱えてもらってするしかない。
帰りも同じようにヨチヨチと戻るのだが、時々襲う激痛にじわっと脂汗がでる。
布団の上に寝転ぶのも大変でしゃがめないので最後は体をどたっと投げ出して倒れこんだらついグウェッというような変な声が出るほどの激痛が走り軟骨から変な音がしたようで椎間板をやったかなと思ったほどだった。
そんなあまりの痛みもあって疲れたのか昼も寝てるのに夜もよく寝た。
水は朝からコップに1杯弱しか飲まなかった。
喉も渇かないしお腹もすかなかった。
翌日16日は朝から少しだけ歩くのがマシになった。
痛みも少しだけだがマシになり妻の介助がなくても一人で立って用をたすことができた。
トイレに行ってる間に妻がこれまた父が使った折りたたみのベッドをしつらえてくれたので寝転ぶのが楽になった。
この日も夕方まで食べずで水分も栄養補給にと妻が玄米スープを作ってくれたが口を湿らす程度しか取らずひたすら寝ていた。
妻は前からその日友達と京都で会食することになっていてキャンセルしようかと悩んでいたが、飲んでないし食べてもいないのでトイレに行くこともないし大丈夫だからと言って行ってもらった。
その代わり昼過ぎ母がトイレを心配して来たが本当に行きたくないから静かにしておいてほしいと言って転がっていた。
テレビをつけてみたが音も光もこういう時は応える感じでどちらかというと暗くして寝ている方が楽だった。
妻が帰ってきて夕食にりんごを擂ったのはどう?と訊いたので食べることにした。
少しりんごが酸いからと蜂蜜を加えてくれたのをちょっと食べたが、この日も水分はコップ1.5杯ほどだった。
17日朝はずいぶんと歩けるようになった。
歩行介助具を持ってるよりないほうが歩きやすいと思えるようになった。
しかしまだ油断大敵だと思い午前中はベッドの上でおとなしくしていた。
あまり断食を続けると復食が大変なのでベッドの端にも何とか座れるからトイレの大の方も何とかできそうに思え、朝は3分粥を茶碗に半分ほど食べることにした。
昼はさらに歩けるので台所まで行って茶碗に七分目ほどの3分粥を食べた。
夕食も大き目の茶碗に3分粥を1杯とちょっとだけお惣菜を口にした。
昼食後はリハビリもかねて少し歩こうと畑に水遣りがてら行ったりもし、妻も来てくれたので長いこと見ていない白菜の虫を見ることにしたら見つけると見過ごすわけにはいかないので妻に要領を教えながら捕ってもらうことにしたが、やはり初心者には見つけることかなわずのようなのがいてついついしゃがんで捕ったりしてしまった。
それで、今朝はまた悪化するかと心配していたがさらによくなって、食事も量は少なくしたもののいつものように戻し、昼は固めのお粥にしたものの少し大きめでいただいた。
昨日はコンピューター前に座って短いメールを書くのがやっとだったが今日は読んでもらうにはどうでもいいほどの内容をくどくどと長く書いても大丈夫で、妻に手伝ってもらいながらも栗拾いも野菜の虫取りも高枝切を使ってアケビの実までも採ったりした。
トイレも昨日から食べだしたら正直なもので今朝便意があって無事出した。
まだなんとなく違和感があるもののもう大丈夫なようだ。

と言うような顛末でした。
私の記録にと書きましたが最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
  

Posted by 江龍武 at 18:51Comments(0)生活

2011年07月02日

我が家の地デジ化

本当に長いご無沙汰です。
あまり書かないものだから、心配した友人から無事にしてるか確認の電話が入ったことも再三あったりしたものの、やはり自分が関与した末期癌の方が2週間置きというペースで年初から4人も続けて亡くなられ気を落として過ごしてるところに追い討ちをかけるようにあの震災。
例年のように畑仕事や庭の手入れなどはこなしてはいたものの、無力感の持って行き場もなくふわふわとただ時の経つのに身をまかせていました。
自己存在の希薄感というのでしょうか、今もそれは心のどこかにあるようですが時が解決してくれるのを待つしかないのでしょう。

まあ、そんな私の心はともかくとして今日は我が家の地デジ化の話です。

私は父が悪くなりだしてから両親の住む家に同居しているのですが、この家には各部屋にテレビを母が次々と置いていった歴史があり、同軸ケーブルで簡単に接続できないテレビからBSも見られるのまで古いタイプばかりが計5台ありました。
大きい顔をして住んではいるものの自分の家という観念は今もなく、何時までここに住むかと思うと新しいテレビに買い換える気もしないので、知人が新しいテレビに買い換えたと聞くと大抵が我が家のより新しいタイプだからもらってきて新陳代謝を計ったりしていました。
昨年その5台の内のもらった一番最新で大きい横長の1台が映らなくなり、母が自分の部屋のテレビの映りが悪いと言ってたことやエコポイントがもらえ古いテレビを処理するならさらにポイントがもらえたので母の部屋用に今時のテレビを手に入れました。
母の古いテレビは昔の平らなテレビの線をつける端子しかない代物に誰がしたのか器用に同軸ケーブルの先をむき出して接続してたんですが、今度は同軸ケーブルでしかもUHFとBSの分波器が必要なのでホームセンターから調達して自分で何とか設置してはみたものの電波が弱く映らない局があって、最後は電気屋さんに来てもらって分配器を変えてもらったら解決しました。
(母の古いのは壊れたテレビのところに移し、その後それはまた兄が地デジ化で買い換えた時に兄のテレビで新陳代謝を図ったので、やっと我が家も同軸ケーブルで簡単接続できるテレビだけになったようなことです。)
この家は近くの集合住宅から電波をケーブルでもらってるので、この際アンテナを立てることも検討したのですが木が邪魔して調べてみないと分からないということだったのでとりあえず今の状態で解決できるかやってもらったら何とか分配器の交換だけですみました。
電波の強さを調べてもらって他の4台も大丈夫とその時お墨付きをもらったので後はチューナーにするかテレビを買うかは来たる7月24日までに決めたら良いともう地デジ化はすんだような気でいました。
先日ホームセンターへ他の用事で行ったら地デジチューナーが3980円でセールしてたので、今のところ全部テレビを買い換えることのないのは確実だしとりあえずそれを買って様子を見ることにしました。
いつも食事の時に見ているテレビに付けることにして、説明書どおりに設定したのですがチャンネル自動取得で10チャンネルが取得できずおかしいなと思いながらもその状態で映してみたら10チャンネルを除いて他のチャンネルを取得してるのにもかかわらずNHK、NHK教育とびわこ放送だったかその3チャンネルしか映りません。
ホームセンターに電話してこれこれで返品できるか確認した後、なにせ古いテレビだからとりあえず他のテレビでも試してみようということでチューナーを持っていって新陳代謝を図った兄のでやったらチャンネル取得は全部できたものの10チャンネルだけが映らない。
次に自分達の部屋で試したら今度は全部映るというようなことが起こってしまった。
自分達の部屋では使えるから無駄にはならないし一旦チューナーは箱にしまって台所のことを考えて日を過ごしていたら地デジ化の放送でアンテナや線を変える必要があるかもとか言ってるので、自分達の部屋は新しく建て増ししたところだから映ったのかもしれないと思い、線の交換が必要なのだと考えるようになっていた。
インターネットでいろいろ調べると同軸ケーブルも種類があるらしく我が家のは殆ど5C-FVというものだった。
BSとかCSとかにはS5C-FBとかがいいらしい。
しかし母のテレビは5C-FVでも映ってるし変な気はしたものの台所は一番線が古い気がしたのでそういうこともあるのかと思って、電波を強くする意味でも少し多チャンネルにする意味でも光ケーブルにテレビを申し込んでついでにふさわしい同軸ケーブルを新しく敷設してもらおうと思っていた矢先、母がテレビはあまり見ないで近頃はラジオがいいと何気なく口にしたのでその気もなくなってしまった。
それでも3チャンネルしか映らない台所はなんとか解決しないといけないので自分で同軸ケーブルを交換することにした。
そこは外から壁に穴を開けて入っているので難しいことではない。
F型接線というのを同軸ケーブルの端につけた経験もある。
後はやる気だけだったがアナログ終了まで30日を切るとさすがにやる気が出て3日前に新しいケーブルに取り替えた。
もうこれで大丈夫だろうと地デジチューナーをつないで「さあ、どうだ!」
結果は前と同じで3チャンネルしか映らない。
がっくりです。
それからすったもんだ。
外部入力端子が良くないのかとビデオ1からビデオ2に外部入力をつなぎ代えても同じ、テレビが古いからかと自分達の部屋のテレビを持ってきてやっても同じ、分配器のつないでいるところが悪いのかとつなぎ変えても同じでほぼギブアップ。
電気屋さんに頼むしかないかと思いながら、また自分達の部屋にテレビを戻しそこで地デジチューナーをつないでみたら全部映る。
何が違うの?????

諦めかけながらも悩みに悩んでる頭にふっとある考えが浮かびました。
自分達の部屋のテレビはBSも見られるので分波器が同軸ケーブルに付けてあり地デジチューナーに接続する時テレビから線を外したらチューナーにはその分波器のUHFの線を接続してました。
これかもしれないと分波器を外してそれをもって台所に急ぎ足で戻り自分で敷設した同軸ケーブルの先に分波器を付けそのUHF端子用の線を地デジチューナーにつないでちょっとどきどきしながらテレビをつけたら、お~!やった~!!!
全て映るべくして映るはずのチャンネルの鮮明な画像が目の前に展開しました。

解決したのは嬉しいしそれでもうどういうこともないんですが、それにしても・・・と思い、チューナーの説明書を隅から隅まで丁寧に読みましたが、どこにも地デジチューナーには同軸ケーブルで電波が混合して来てる場合は分波器で電波を分けUHFの電波だけを入れるようになど書いてませんでした。
これって常識なんでしょうか?
もしかするとケーブル線も変えなくて良かったかもしれませんが、電気屋さんを頼まずにできたのでその点は安くで新しくなったからと喜ぶことにしています。

もう一箇所10チャンネルだけ映らない場所の原因は、今回の騒動で疲れてまだ究明されていません。
そこには昔から混合分波器なるものが同軸ケーブルに直接付けてありそれがデジタルにはふさわしくないのか、屋根の上を走ってきてる同軸ケーブルが悪いのか、F型接線を付けないと試せないのでまたやる気待ちですが、いずれにせよ今回のようなすったもんだはもうしなくてよいようです。

デジタルは古いテレビでも綺麗です。

ちなみに今日50台最後の誕生日を迎えました。
還暦の誕生日まで来年はうるう年なのであと366日です。
  

Posted by 江龍武 at 13:48Comments(2)生活