2008年03月02日

休養

朝携帯に登録していない電話があった。
出たら、バンクーバーで合気道のK先生と共に遅くまで飲み歩いていたFYさんだった。
Yさんは、栃木県にある製材会社がバンクーバー出張所の現地雇いとして仕事を任してる人だが、たまに栃木の本社へ仕事の打ち合わせで来ている。
今回Yさんが電話をしてきたのは、今回納品にクレームがついて明日上司と行くことになってる会社が、住所を見たら私と同じ町なので、びっくりして面白いと連絡してきたようなことで、こちらもびっくりした。
久しぶりに一緒に飲めるかと思い、泊まるところもあるし遊びに来たら?と誘ったが、最初一人だったらそのつもりだったが、上司も来ることになって諦めたということだった。
このクレーム処理が上手くいったらまた何度も来る機会があるかもしれないので、そのときこそ楽しみにしているということだった。
縁というのは簡単に切れるものではないと思いました。

さて昨晩の事だが、寝ていたら突然喉に痰がからんだ感じになり、咳き込んでから喉に違和感があるので、サボったら直ぐに治るのは経験してきたことだし、今日は遠隔治療の仕事をサボってそれを治すことにした。
近頃、咽頭癌をお二人、気管支と肺の癌お一人と、同じような場所に問題のある方に遠隔治療をしている。
どういうわけか、同じような時期に同じような症状を頼まれることがよくある。
さあ、練習練習と課題をいただいてるのだろう。
だから、今までもそうであったように今回も私の身体に異変が起こるとは思えないが、休養はしたほうが賢明というもので、それは許されるはずだと思っている。

ヒーラーの心得: 自分の分をわきまえ無理はしない。無理をしたら休養を取る。

でも、父にだけは気を入れてきた。
今日は、水枕がとれていて熱が下がったことが分かったが、相変わらず血糖値が異常に高いらしい。
父が痩せてもいいのでカロリーを落とせないか婦長さんにお医者さんと相談してくれるよう頼んできた。
まだまだ先のことだと思うが、最後は枯れるように逝かしてやりたい。
  

Posted by江龍武at 17:50 Comments(2) 治療師への道

2008年02月26日

治療スタイル

昨日からヒーラー山村幸夫さんの「神からのギフト」を読み出している。
今三分の一ほど読み終わったところだが、これがトップクラスというものかと感じている。
考え方はよく似てるので、私が辿ってきた道はまあまあだとおもうのだが、いまだ到達しえてない次元におられたように思える。
生まれついて霊感があったというのは素質的なものだから諦めるとして、取り組みの真摯さにすごさを感じた。
神に恥じない生活振りも私ができてるとは到底思えない。
人を救うために命を神に委ねられてたのも私はいまだに覚悟がない。
霊との交信ができたからなのか、完全にその世界を信じて自分の言動やもたらされる結果を信じきるということもまたいまだ私にはできない。
参ったな~、困ったな~。
とりあえず暫くそういうことには目をつぶることにして、治療スタイルを山村さんのようにしたらどうかと昨日から試し始めた。
これは始めた頃一時期よく似たことを試していて危ないと思い止めていた。
指導霊というものが止めてさせてくれたのかもしれないが、完全に自分の身体を受身にするような感じのやり方で、感受性が強くなる反面下手をすると自分がやられる。
それで、身体に気を目一杯張るようにして、少し感受性を落としてやってきた。
まだ試し始めたばかりだから確かなことは言えないが、優しくというか丸くというのかやんわりと気を自然に送れるように思う。
今までも最初の頃に比べたら相手と調和してそれはそれは優しく送っていたのだが、まだ自我が入った気を送ってたのかもしれない。
仁王門の仁王の感じが始めた頃で、次は不動明王の雰囲気かな、そして菩薩に変わろうとしているのだが・・・
妻は、早世した人の真似はしないほうがいいのとちがう?と言うが、まだまだ酒を飲みながらだし真摯さもイマイチだし訓練もしてきたと思うから大丈夫と言っている。
  

Posted by江龍武at 16:16 Comments(0) 治療師への道

2008年02月22日

ヒーラーの本

ヒーラーの本という件名で酋長と義兄弟のMさんからメールが届いていた。
近頃の私のブログを読んで、生活振りがあまり健康的でないと心配してくれたのかヒーラーとして感心しないと注意するためか、なんともいえないが、本の紹介がされていた。
亡くなられたが山村幸夫さんというロスでヒーラーとして活躍されていた方の本で、バンクーバーの私と同じアパートに住んでいたFさんから教えてもらったことがある。
Fさんは出会われたことがあり、それはすばらしい方だということだった。
その当時まだ本は出されていなかったが、何かの記事だったか写真を見せてもらった覚えがある。
そして、山村さんが影響を受けたシルバー・バーチの本も持っておられたので読ませていただいたことがある。
今回の本は、山村さん存命中に出版まで至らず、死後出版を引き受ける出版社がなかったので、有志の方がそのときの原稿および講演時の録音からおこしたのを自費出版されたということがホームページに書いてあった。
興味のある方は、読んでみてください。
自費出版なので店頭でもアマゾンでも手に入りません。ホームページからご購入下さい。

山村幸夫 (両書とも自費出版)
神からのギフト(スピリチュアルヒーラーへの道)¥1,500
与え尽くしの愛(DIVINE LOVE)¥1,500

山村幸夫「神からのギフト」出版会
〒223-0058 横浜市港北区新吉田東7-24-8
TEL&FAX: 045-546-1032 黒木昭征
http://www6.ocn.ne.jp/~yukio/

ホームページで本の目次が書いてあったが、私の考えてることと同じ内容が多そうだったが、困ったことにアルコールはいけないようなことが書いてあるようだ。
国体クラスからオリンピッククラスになるには、そうでないといけないとは思ってはいるが、多少はキリストも最後の晩餐でワインを飲んでるようだし、あまりストイックなのもね~
これでは、駄目ですね。そんなこと言ってるから霊感が働かないのだろうか?
  

Posted by江龍武at 17:39 Comments(0) 治療師への道

2008年01月28日

紹介電話

携帯電話がなった。非表示なのでいぶかしみながら出たら、カナダのカルガリーに住むKNさんからだった。聞き取りにくいので固定電話に掛けなおしてもらうことにして電話の子機を取りに行ったら、また携帯電話がなった。
これまた登録してない番号で横浜の045が頭にあった。
誰だろうと思って出たらHさんと名のる女性で、少林寺拳法をやっていてNさんに紹介され・・ぐらいで固定電話の方がなった。
Hさんのその短い説明から合点がいき、固定電話の方は妻に出てくれるように頼み、Hさんの電話を優先した。
Hさんのお父さんが上咽頭腫瘍で私に気を入れてもらえるかというお願いだった。
いくらでもさせてもらうが、癌は治る治らないではなく運だとしかいえないがそれでよかったら、写真、名前、生年月日をメールで送ってくれるよう話した。
もしお父さんが受けてもよいと思われるなら電話治療の方が強いので電話していただいたらどうでしょうと提案して今日は終わった。
それで、Nさんと固定電話で話していた妻と代わってもらいNさんと本当に久しぶりに話した。昔だったら国際電話は無茶苦茶高かったのでこんな失礼なことはできないが、下手をすると国内の長距離より安いのでこういう時助かる。
Nさんによると、HさんはNさんの門下生で、Hさんが日本に出発される前食事をされた際、こんな人がいると偶然私の話が出たらしい。それを憶えていたHさんの日本からの問い合わせに、NさんはバンクーバーのYさんに連絡を取り私の携帯の番号を教えてもらって、それを2,3分前メールでHさんに伝えたところだったそうだ。
Nさんと知り合ったのは、少林寺拳法をしていたバンクーバーに住むYさんの紹介だったか酋長と義兄弟のMさんを通してか忘れたが、1992年か1993年頃のことだろうか、飛行機代を出していただいてバンクーバー空港で手配された切符を受け取り、カルガリーまでお義母さんを治療しに行ったことがある。効果がでなかっても堪忍してくださいということで行ったはずだ。
お義母さんは、確か悪性リンパ腫だったと思う。
そのお義母さんが今日の電話でぴんぴんしておられることをしった。その後、検査に行ったら、お医者さんが何かしたのか?なくなってるということだったらしい。
そんなに奇跡的に治ることは少ないが、それ以来Nさんの私への信用度は高いようだ。
Nさんの場合は上手く行ったが、信用を下げているケースもあるだろう。気の治療師全員に関係するのでいつも治って欲しいが、それもまた無理なことだと思う。宿命というものは代えられないと思うことにしているが、運命なら切り開けるはずだし頑張るしかない。そんなことですので皆さんご理解下さい。
Nさん自信も不思議な方で、その時どこかでコーヒーをよばれながらいろんな話をしたが、外で雨が降ると建物の中にいても手の甲にぽつんぽつんという雨の当たる感触があると言っておられた。その時以来、私より磨いたら上を行かれるんじゃないかと思っている。
電話が終わっても、そんなことをしていたんだな~と懐かしく当時を思い出し、暫くその時のことを考えていた。

以上のことを書いていたら、2時過ぎにHさんから電話があり、お父さんが受けることを了承されたということだったので、早速電話で気を送った。お父さんには週一でお電話いただくことにし、写真治療も併用する近頃の方法でご了解いただいた。男性はなかなか疑い深いがよく了解くださったと感謝している。
頑張ります。
  

Posted by江龍武at 14:52 Comments(0) 治療師への道

2007年12月01日

再度、うつるんです

ちかごろ風邪気味ですっきりしない。
24日に実家も観光コースに入っているので、KHさんとHさんを案内した。
そんなことで実家に行ったら、近くに住んでいる双子の妹にあたる姪夫婦が遊びに帰っていたのだが、その夫のA君が腰が痛いので診て欲しいと頼んできた。整体に行っても治らないという。
なかなか陰気が取れないので長いことかかったのだが、結局これは風邪から来ているのだろうと思った。それで、まず風邪を治すように食べるものや生活の仕方を助言した。(後日談ではマシになったということだった。)
それ以来、こちらも風邪気味になっている。
人には助言するが、自分はよっぽどでないと風邪治しを試みないので長引くことになる。
それはそうとして、ず~っと前に「うつるんです」というタイトルで書いたことがあるが、そのときはどのようにうつるかを書いたと思う。
今回は、ウイルスもうつってくる経験を書いておこう。
今は亡きAさんというおじさんがよくカナダに遊びに来て我家に泊まっていた。
あるとき左の耳の横にイボを見つけたので、気で取れるかもしれないと試してみた。そんなのが直ぐ取れるものでもないが、何日かして半分ぽろっとかけたように小さくなった。おーっ!やっぱり効くやないかと思ったのだが、問題は、それから暫くして鏡写しにだが、私の同じ場所がぷくっと膨れてきてシコリになった。長いことかかってそのシコリはなくなったが、その場所にはその戦いを記念するかのように痕が残っている。
私の体内のイボウイルスが刺激されて活動したのかとか、元来ウイルスは振動で移動でき存在として出現するのかとか勝手な理由を考えたが、実際なぜそんなことが起こったのかは分からないままでいる。
鯉ヘルペスもある年伝染経路が分からないままに日本中の鯉業者に打撃を与えた。
素粒子というのは、実験している人があると思えばある、ないと思えばないというようなものだと読んだ記憶がある。
素粒子もウイルスも、これは、まるで般若心経の色即是空、空即是色の世界のように思える。
そんなことで、病気を治すのはよいとしてウイルスによるものだったらどうしようと、考えると実際の話少し怖い。
しかし、怖がると付け込んでくるのは世の習いなので、怖がらないよう自分の身がどうかなるかもなんて考えないことにしている。
普段はそうなのだが今回のブログのように説明したりする機会もあるので、それでも神が必要とされている限り神に守られているという心の逃げ道を持っている。
先日バンクーバーの友達の紹介でコリッキーさんという、ブログを読むとどうも私より優れているような気の治療師を知った。いざとなったら頼もうと思っている。
そんなわけで、コリッキーさん、その節はよろしく。
そんな風邪気味の私に、昨日、違う姪が耳がおかしいので診て欲しいと来た。
気を入れてみるとこれまた風邪から来てるようだった。なんてこったいと思った。
  

Posted by江龍武at 18:08 Comments(0) 治療師への道

2007年11月14日

気の性質

日常のことばかり書いていたので、たまには気のことを書いて見ようと思ったが、これだけ続けて書くとさすがに書くことが無くなってきた。
まだ言い足りないことはないかと考えてたら、陽気と陰気で書いていないことがあった。
治療を始めた頃、陽気を感じなかったのだが、全身が死体のように冷たくなってから陽気を感じるようになった。
考えるに、その時までは自分の陽気を相手に入れていたに違いない。掌の皮一枚で止められるようになって初めて自分が媒体となり、自然のエネルギーを取り入れ、注入できるように変換し、治療相手に入れられるという役目を果たせるようになったのだろう。
戦いの気はおそらく陽気だと思うから、武道家出身の気の治療師は、最初の頃の私のように自分の陽気を入れるタイプが多いと思っている。
殆どの治療は陰気をとることで治す。それで、もしかすると、私よりそのようなタイプの治療師の方が、よく効くのではないかと思っている。
ただ、急性的な症状は、陽気を出しているのを感じるので治すには陰気をもって中和することだと思っている。そんな時は、陽気の治療師は近づいてはならないと思っている。
バンクーバーにNさんというオリンピック選手の体調も管理していたという有名なマッサージ師がおられた。この方は、炎症の症状は触られなかった。経験からだと思うが、自分の気は陽気だと思っておられたのだろう。
その方を頼って岐阜から裕福な方が診てもらいに来られてたが、友達の紹介で私も診ることがあった。梯子から落ちられて以来、足ががくがくになったので両手に杖を持たないと歩けないということで来られていた。
二度目の時は、それもあったが、腕が痛くて上がらないということでNさんのところへ来られたのだが、これは炎症しているというので触れないということで、代わりに湿布をしてもらわれていた。
私はどうだろうと、お声がかかった。私の気は、陰気と陽気が合体したエネルギーでどちらを取るかは相手次第と思っていたし、その方もして欲しいと言われるので、やらせてもらった。
気を入れて、これはちょっと触らせてもらった方が治るとなぜか思ったので、指圧よりも弱い感じで自分の体が問題があると感じる場所を触れていったら、腕がぎりぎりという感じでねじれていくのにはびっくりしたが、それで治った。
自慢してるのではなく、そのように治療師の気には性質があるということを、受けても治療師も知っている必要があるし、これは大変に大事なことだと思っている。
白血病の人は脊柱に沿って熱を出していると書いたと思うが、陽気の治療師が気を入れたら、大変なことになると思う。
以前気の出し方を変えたと書いたのを憶えていてくださってる方もおられることと思うが、筋肉に作用さすことばかり思っていて陽気陰気ということを重視していたように思う。
気には他にも重力、磁力、電気的といった要素があるのは電球をつけたりスプーンを曲げたりといろいろテレビで紹介されてるのでご存知だと思う。
最初始めた頃は、掌や体のあちこちがぴりぴりしていたのを思い出し、電気的というのかわからないが、神経を治すにはその要素を入れないと治らないと、そんな気の感じを加えて送り出した。
それからは、今までよりよく効くように思っている。
準備ができたと神が思ったのかどうか、来週早々パーキンソン病の方の予約が入った。自信はないし、はい、治りましたというような簡単なことはないのに違いないが、どちらにしろ結果はいずれ報告したいと思っている。
  

Posted by江龍武at 20:30 Comments(0) 治療師への道

2007年11月06日

ヘミシンク

真言の事を書いたとき、音の振動数が脳に影響を与えるということだったが、科学的にアプローチされた方法で、米国モンロー研究所が開発した音で能力を引き出すためのヘミシンクという方法がある。
これは音がステレオで録音されていて、ヘッドフォーンで左耳と右耳それぞれに異なった周波数の音を聞くことで、確かある点までの音の到達時間の誤差を使って脳内の求める部分を狙い刺激することで能力開発をするのだったと思う。(ちょっと私には難しいので熱心な方は調べてください。)
これは、「魂の体外旅行」の著者ロバート・モンロー氏が開発したものだ。
とにかく魂と書いてあると敏感に反応していた頃だったので、この本も買って読んだ。
ロバート・モンロー氏は自分の体外離脱のことを本に著したのだが、この本を気を受けに来たSさんにかしてあげたら、それに大変興味を示された。
Sさんは工学部を出ておられたと記憶しているが、大変理知的な方だった。コンピューターも私なんかそれから数年後に始めて触ったのだが、その時すでにその関係の仕事をしておられたほどだ。そんな方なので、探究心もすごい。
それから、高価なヘミシンクのテープを手に入れられたのでどんなものか暫く貸してもらって試してみた。
私の目論見は、体外離脱を経験することだったが、それは実現しなかった。ただ、脳が揺さぶられる感じはしたので、いま少し続けていたら良かったのかもしれない。
Sさんはアメリカのモンロー研究所にも実際行って勉強してこられたが、Sさんも体外離脱はできなかったようだ。
だからといって、効果がないとは言えない。私には不思議なことが起こった石井先生のテープも私以外には誰にも目立った変化は起こらなかった。誰でもできるというわけではないだけのことだ。
私は、いつかそのようなことが起こった時のために、「体外離脱して肉体に戻る時は、エネルギー体と肉体それぞれの足の親指を合わすようにするときちっと戻れる」と本にあったのだけは、忘れないようにしている。経験者ロバート・モンロー氏の貴重な教えである。転ばぬ先の杖のようなものとして知っていて損はない。
  

Posted by江龍武at 19:34 Comments(0) 治療師への道

2007年11月05日

精神世界への関心

遠隔で治療をするようになると、人間存在というものを考えないわけには行かない。
いつの頃から読み出したのかは忘れたが、やはり治療師としては同じ分野の方にまず興味を惹かれた。
今世紀(といっても当時は20世紀のことだが)最大の預言者とされるアメリカのエドガー・ケーシーの本を次々と読んでいった。
彼は、住所と名前と生年月日があればその人物の状態が分かり、治療法を述べたという。
それで、私も住所と名前と生年月日で試したことがある。私の場合はその存在を掴み、それに向かって気を飛ばすわけだが、手応えはあったと思っているのだが検証できていない。検証できないと意味がないので2,3回試して止めたが、そのときの名残で写真でするときはできるだけ情報が多い方がよいと思って、差し支えなければ教えてもらうようにしている。
エドガー・ケーシーの口述した治療法を、福田高規という人が「エドガー・ケーシーの人類を救う治療法」という本にまとめたのがある。それも買って、その中のひまし油を使うことを今でも人に勧めている。生のアーモンドを3粒食べると癌予防になるというのもある。この本は買っては人にあげてたので今は手元にない。買っておくのを忘れないように、ナウボウ アキャシャだ。
人間存在はエネルギー体を考えなければ話にならないので、魂とか前世に関係する本も読むようになった。
前世に関してはアメリカの精神科医ブライアン・ワイズ博士の「前世療法」が面白かった。
その本を読んだ後、YYさんの紹介だったと思うが、前世を憶えている男の子を持つ日本人女性が店に訪ねてこられ、話していただいたことがある。
カナダで育ってるので、銅鐸のことなど知ってるはずもないのにこのデザインの着物を着ていたとか、天皇のことを意味していたのだろうが偉い人が二人いたとか、兄弟喧嘩をしたとき、弟が兄に向かって、「白い壁だけの部屋で修行してるところに兵隊で入ってきて僕を殺したやないか」と言ったら、「命令で仕方がなかったんや」と兄が答えたとか本当に興味深い話だった。兄も前世の記憶があることになる。どの本か定かではないが、このように魂はグループ転生しているということだ。
女神のKちゃんが先日、妻と私は前世で出会ってるに違いないと言っていた。
私は常々、妻は家具とかカントリー調が好きなので、ヨーロッパの田舎娘だったに違いないと言っている。私はロココ調の物が好きなので、ヨーロッパの貴族だったと言うのだが、貴族の所で欲しいと思いながら下男としてそんなのを磨いてたのとちがう?と妻にやり返されている。
夢に見たこともないような漢字がいっぱい出てきて読めないで困ったことがあるが、それも中国で僧侶の端くれだった魂の記憶じゃないかと思っている。
今世は、癌は神頼みとか言ってるし治療師としてはイマイチの力だが、来世生まれ変わった時はさらにパワーアップして生まれたいものだ。魂に刻み付けておくため死ぬ間際までこのように思って死のう。
本当のところは、もう生まれ変わりたくはないんだけど・・・無理だろうなあ~。
  

Posted by江龍武at 17:27 Comments(2) 治療師への道

2007年10月20日

神の試験

近頃、紀元会という宗教団体が集団暴力で殺人を犯したニュースが流れている。
偶然か必然なのか、それは分からないが、私が気の治療を頑張ってやってる時と宗教団体が問題を起こす時期が何故か符合する。
偽祈祷師とか治療師のような小さいのもあったが、それより大事件が起きるのでこのような一般的に眉唾物と思われているようなことをしている者には困ったことだった。
1995年松本智津夫(麻原彰晃)のオーム真理教がサリン事件で摘発された。
私は、日本では1991年の秋から地元の人を相手に治療を始め、1995年頃は少し自信も出て、帰国するといろんな人に頼まれて忙しく活動していた。丁度油の乗った頃だった。
このサリン事件は私の心を曇らせた。自分でさえなかなか信じられないものをやっと信じてもらえる人が増えてきたのに、どうしたものかと悩んだが、おとなしくしていることにして、人に気のことをあまり話さなくした。当然治療も減ることになる。
それからまたぽちぽち頼まれるようになりどんどん治療を始めだした矢先に、2000年福永法源の「法の華」が詐欺事件で摘発された。
このときは、こっちが頑張ってるのにまたかと思った。その後はカナダで本当に少しやっただけでほとんど活動していたとは言えない。知らない人には気のことを話すこともまれになった。
そして今回の紀元会である。
近頃治療を冬眠から覚めたように今までになく始めていたから、さてどうしたものかとこの事件が起こってから考えていた。
1989年末、私はカナダで60坪余りの大きな土産物店を閉めたのだが、その年私の店の隣で天井から水が滝のように漏れてきたことがあった。二階でレストランの工事をしていて水道が破裂したのだったと思う。
そして、1995年今度は小さい店のリースが切れる年に、また廊下の天井から水が漏れてきた。二階のレストランからだった。
まだ商売を続けるか止めるか決めかねていたが、1989年の時も続けるか閉めるか考えたし天井から水が漏れてくるのが大小の差はあれその時と酷似しているように思われた。そしてどちらも私の店には影響がなかったことを考えると神の啓示と思えた。
当時身体への興味とともに精神的な方にも興味を持っていたので仏陀の考えも参考にしていた。商売していると悟るのは難しいことや輪廻転生しても魂の癖か同じ事を生まれ変わっても繰り返すというようなことを考えていたので、これは今世だけのことだが私の人生においてその繰り返しの中にいるのではないかと思った。馬に乗るか車に乗るかの差があるだけで、また商売を続けても儲けるかもしれないが同じ事を繰り返すだけだと思った。先のことは何の計画もないので分からないが、精神的向上を求めていたこともあり、とにかくそのスパイラルの人生から抜けることに決め、商売を止めようと決断した。
そんなことを思い出して、今までは事件が起こると気の治療を控えたが、今回は続けることにした。
神が「さあ今度はどうする」と試している気がする。
スパイラルから出していただきます。ご加護がありますように。
  

Posted by江龍武at 14:21 Comments(0) 治療師への道

2007年10月17日

身体への関心

治療を始めてから、治療直後は治ったがまた悪くなることがあるので、どうしたらそれを防げるだろうと考えることになる。
気で縮んだ筋肉、つまりストレスがかかっている筋肉からストレスを取り、それによって筋肉が元の長さに戻ることで治ることが多いと考えるようになっていた。
それで、治療後、私が感じた場所の筋肉をストレッチで伸ばすことをアドバイスするようになった。そのために体の構造の本を買った。
ヨガの本は簡単なのを持っていたので、その中から役に立ちそうなポーズも採用した。
西野皓三先生の「気の発見」の中にある捻転というぶらぶらする運動もよく人に教える。これは脊柱をまっすぐにするのに役に立つ。
脊柱がまっすぐなっていることは、体を健康に保つ上で基本と言ってもいい。大動脈、大静脈の流れがスムーズで心臓にも負担がかからないだろう。首もまっすぐに保持しやすいので頭の血の循環も左右均等になるだろう。前後はまだしも左右に曲がっているのは良くない。血がスムーズに流れなくなる。脊椎から神経が出ているが、左右に曲がっているとその場所の神経が圧迫されることになる。圧迫された神経の受け持っているのが大事な臓器ならそこにも影響が出ることだろう。
かなり前に親戚の生後間もない赤ちゃんを診たことがある。心臓の壁が膨れているので退院できないでいた。下手をすると病院は手術したかもしれない。私の診たては背骨の歪みだった。そこと思われる場所に気を送る度に赤ちゃんは強く泣いたので確信したわけだが、後で母親にお腹の中に予定より長くいなかったか尋ねたらやはりその通りだった。大きくなりすぎてお腹の中で背骨が曲がったと考えた。それで、血の流れが悪くなり、心臓に負担がかかり壁が膨れたのだろうから、一週間もしたら治ると言ったらやはりその通りになった。脊柱がまっすぐになってるのが大事という一例としてあげた。
両足に同じような問題が出たら、大動脈大静脈が逆さYの字に分かれているその点より上に問題があると思ってほぼ間違いない。
左足首を痛めると右膝、左腰というように右足首ならその逆にジグザグに悪い影響を与える。足首から書いたがそれは腰から始まっても他の部位から始まってもジグザグに影響を与えると思っていい。骨盤に背骨が逆さTの字で付いていることや、目線を地面に並行に保とうとすることから体をいろいろな場所で曲げて調整するからそうなるようだ。
血の循環について言えば、静脈血をスムーズに心臓に戻すことが優先されると思っている。動脈血は心臓をポンプとして送り出されるが、静脈が滞るとポンプである心臓に負担がかかる。血が淀む、つまり瘀血の原因にもなり、また血の流れが遅くなるので新鮮な酸素や栄養分を多く含んだ動脈血が単位時間当たり減ることになる。それはそれに頼っている細胞を弱らせる。
もし、静脈が浮いて出ているならそれはどこかで静脈が押さえられているため静脈弁が働いて血の逆流を防いでいるのだから、心臓に向かって軽くさすってやるだけで静脈血は心臓に戻り動脈血が待ってましたとばかりに流れ込んでくる。
そんなことから、筋肉を鍛えすぎると静脈が浮いてくることがあるが、それは多分健康面から考えると良くないと考えている。
静脈血の戻りが悪いと暖かい動脈血は心臓が動いている限り送られてきているわけだから、指先とかの末端に熱がこもるようになる。体の血は水冷エンジンの水のような役目も果たしている。だから循環が適度に良いと暑さ寒さに強くなる。もしあなたが、暑がりか寒がりだったら、鍛えすぎか鍛えなさ過ぎの可能性もあると思う。
正しい姿勢と運動は、健康を保つ上で常に心がけてるのが肝要だと思う。
(念のため書いておきますが、以上は私の考えであり医学的に述べられているわけではありません。今後も身体のことについて書くときは私の見解ですのでご承知下さい。)
  

Posted by江龍武at 19:36 Comments(0) 治療師への道

2007年10月15日

治療中の声

私はテープの石井先生の声を真似してスタートしたから、同じような声を出すように努めていた。声を出すと、腹に力が入り気も強く出せるように感じていたし、呼吸のコントロールにも便利だった。腹式呼吸でないと出せないが、とにかく吐く息を長くしないと気を出し続けられないので、これ以上出せないと言うところまで声を絞り出したり、途中で引っ込んだお腹をまた意識的に膨らませたりいろいろ試していた。
状況によっては声を出せないので無言で気を出すよう練習もしたが、それも最初は声を小さくして身体に響かす感じでしていた。
テープの声が共鳴するようになったことは以前書いたが、テープの声なしでも同じように共鳴したような音がある日しだした。
始めのうちは、あ~~という音に違う音が一種類入ったような声になった。
喉が痛くなるほど声を出していたので、何度も声帯がおかしい感じになったが、その都度すぐに治るのでまた声帯の限界かと思うほど負荷をかけた。
そんなことを繰り返していたら、音も3種類、4種類と言う感じで混じりだしていた。最後の方は鐘の音というか鈴の音というのかそんな音が混じりだした。それが出た方が良いかと思い、それからは何とか出すように発声に気をつけるようにした。
ある時、私の声が共鳴したような音として出るトーンが治療相手によって違う気がした。そう感じてから、音階を段々上げていってその人の振動を掴もうとするようになった。
これがまたなかなか大変だった。と言うのは、声が当時出せないような高い音で初めて共鳴したと思える人が出てきた。これを克服するのにまた声帯に負荷をかけなければならず、八代亜紀が声帯の手術をしたことを思い出して大丈夫かと思ったりしていた。
作家の桐島洋子さんはバンクーバーに別荘があり一年に一度は来られていたのだが、親しくさせていただいていたANさんを通して紹介され、食事に呼ばれたりしていた。
桐島洋子さんもこの振動の高い方で、始めて気を入れさせてもらったとき共鳴できるだろうかと心配になるほど高い音で合わしたのを覚えている。
その時だったか、当時ご主人だった勝美洋一さんが音響機器の開発に関係されているとかで声を録音して日本で調べてくださったことがある。
それによると、私の声は倍音を出していることが分かった。昔から、天使の声と言われるのも倍音と言われているそうだ。倍音のことは知らなかったが、それが分かってなんとなく納得した。ただ、その音を分析した人が、こんな声を出し続けていたら声帯を壊すし頭がおかしくなるから止めたほうがよいと言ったということだった。
それを聞いてどうしようと思ったが、考えるのから逃げるのではないが、今までの経過から目に見えない存在に導かれてるように思っていたので、こういうときは神任せにするということでそれ以降も続けている。
今は音階を上げていって合わすということはない。神の振動は分からないが、犬も含めて人間の振動なら同じ声でほとんど間に合うと思っている。
  

Posted by江龍武at 19:09 Comments(0) 治療師への道

2007年10月11日

治療テープ作り

治療が出来るようになってから、始めて日本に帰った頃からだったと思う。前のように大勢を集めて治療することはなかったが、地元で以前治療してあげた方から、帰ってはるんやったらしてもらおうという感じで結構頼まれていた。
その中で、治療中に先生(!?)の声をテープに録音させてもらってかまいませんかと願う人がちらほら出てきた。
ESP科学研究所の石井先生のテープを買われたら済むことだと思ったが、確か一本1万5千円ほどしたかと思うのだが、誰でもが簡単に買える金額ではない。効かなかったら丸損だから余計手は出ないことだろう。こちらにすれば別に特別に何かするということでもないので断る理由がない。変な声を出してることが残るということに関しては気になったが、それで満足してもらえるならと我慢した。テープに効果があるかということにも興味をそそられた。
それがエスカレートしたのか、、母が息子にテープを作っておもらいやすと勧めたのか、次にテープを作って欲しいという人が現れた。自作のテープに対する興味は強くなっていたし、作ってあげるのはかまわないが、こちらもどうしてよいか分からない。物質に気が入ることは分かってたのでとりあえずマイクを通してテープに気を入れたらよいかと試すことにした。
普段母親が聞いてる簡単なラジカセのマイクに向かって、手から気をテープに送り込むつもりで手をかざしながら声を吹き込んだ。今思えば稚拙なものだが、それでも効果はあったようだ。腰の痛みが取れたと言う方もいたぐらいだ。
最初の頃はそんないい加減な作り方だからか、若かった(40歳)せいか、石井先生のように片面30分ほど入れていた。片面だけ作ったのもあるし、両面吹き込んだのもある。
カナダに戻ってからは、日本からカラオケマシーンを持って帰っていたので、それで録音することにした。デュエット用にマイクが二本あるので一本は声用、もう一本は気の送り込み用としてテープを作ることにした。気も波長だからそれはすばらしい考えに思えた。
作ってあげる人の写真を前に置き、その人の振動を掴んで作ったカスタムメードと自負していた。
やはりタイトルがないと貴重品のような感じがしないので、筆ペンで「宇宙の振動とそのパワー」と書いていた。
暫くはどんどん作れたのだが、だんだん作るのがしんどくなってきた。無機質に向かって気を入れても返ってくるものがないためか、理由は分からないが、消耗するように感じた。始めは普段着で作れたのだが、最後の方になると体が熱を持つので下着姿で録音していた。
それで、吹き込むテープを60分から30分にした。最後はさらに短くして20分というのを見つけたのでそれに決めた。しかしそれですら疲れるので、自分で体力、気力の両方があると思った時しか作らなくなった。
カナダから引き上げてからは作っていない。
今でも大事に当時のテープを持っていてくださる方があり、疲れた時とかに聞かせてもらってると言っていただく時がある。ありがたいことだ。
しかし、以前作った人から新しいのを欲しそうな様子が口ぶりで窺われても、しんどいのでと話をはぐらかす事にしている。申し訳ないと思うし、作ってあげないとと思うのだが何故か行動に移せない。
  

Posted by江龍武at 14:03 Comments(0) 治療師への道

2007年10月07日

クリスマスカード気入り

今年もあと3ヵ月弱をのこすだけとなった。
昨日、大津の知的障害者授産施設 瑞穂から会報が届いた。トップページに2008年年賀状・カレンダー発売と大きく載っている。
私たち夫婦は年賀状にここのを使っている。ささやかな寄付の意味もあるが、ユニークな図案が気に入っている。だから、少しお金がかかってもあまりメールで年賀状の代わりとしない。
年賀状代を払う時それだけでは寄付のつもりとしてもしれているので、少しばかり多く払っていた。暫くたってから会報が寄付用の振り込み用紙同封で来たので、カナダの癖で寄付をした。それからいつのまにか後援会の一員ではないが当てにされてるようだ。今年も振込用紙が来てるので払わないといけないと思っているうちに年が変わりそうだ。今週中に払うことにしよう。このブログを読んでもらってるはずはないのは分かっているが、とりあえずここで謝っておこう。
・ ・・当てにしていただいてるのに遅れてすいません。連休明けに送金します。・・・
カナダでは日本向けでも年賀状の代わりにクリスマスカードを送っていた。
気で治療できるようになった年のカードには、当然そのことを友人知人に書いて送った。面白半分で、このカードには気を入れておいたと書き、手を10秒ほどカードにかざした後、封をして送っていた。風邪のとき額にでも乗せたら役に立つかもと書いた知人もいた。
クリスマスカードは別にクリスマス時に届く必要はない。遅いのはいただけないが、早いのは12月上旬から届き始める。それで日本からはこちらが早く出すとクリスマスカードが、遅いと年賀状が届くことがよくあった。
その年は早く出したのか香川県に住む大学の後輩TO君から、クリスマスカードが届いた。
その中に、「クリスマスカードありがとうございました。私、電球の形状で赤外線が当たるとガラスの中の羽が回る置物を持ってるんですが、先輩のカードの上に乗せたら羽が回ってびっくりしました。」とあった。
私もびっくりした。仮にも理科系の同じ大学を卒業しているのだから、他の紙の上で試さないはずはないだろうし、これは本当のことだろうと思うことにした。
ということは、気は赤外線のようなものだろうか。これは考えても分からない。今はそれだけではないがその一面も確かにあるとは思っている。
それよりなにより、物質に気が入れられることが分かったのは大収穫だった。
嵩にかかって書くようだが、風邪のとき・・・と書いた知人Nさんとそれから数年後ゆっくり話すことがあったのだが、あの頂いたカード効きましたということだった。
今は、風邪のときは症状が逆にひどくなることがあるので、それが好転反応だとしてもお勧めしていない。
  

Posted by江龍武at 18:05 Comments(0) 治療師への道

2007年10月03日

骨髄移植

本当にMKさんとは縁があるように思った。
2回目の時からまた半年後のことだが、日本に妻と恒例のように帰っている時節になっていた。それで、帰国の準備をしていた頃、I夫人から電話があった。
I夫人とは一回だけでも珍しい寛解が2回目の急性転換からも寛解したという奇跡的な結果からだろう、その後お食事をご馳走になったり知人のKHさんを紹介してもらったり珍しいものを頂いたりしていた。
さて、今回の電話の件は、娘さんのMさんのことだったが、今回は良いニュースといえる。ついに骨髄移植のドナーが見つかって、移植手術を受けることになったというものだった。
ちょうど私も日本に行くのでそれじゃまた病院に体力をつけに寄せてもらいますと約束して日本に行くことになる。
今回も2週間のレールパスを用意した。
妻と一緒に親友の所へ遊びに行った時は、私だけMさんの入院している都立駒込病院へ行き夕方親友宅へ戻るか、前回と同じように日帰りをするということを今回も何度もすることにした。
駒込病院は前回何度も通ったので馴染みがあるが、今回は骨髄移植なので無菌室に入っておられた。
骨髄移植の場合、患者の骨髄を殺して新しいドナーの骨髄を入れるためある期間感染しないようにこのように無菌室に隔離する処置が取られる。
無菌室を見るのは初めてでめったに見られるものではないので興味津々だったが、反面なぜか敬虔な気持ちで入室した。その階全体が無菌室に当てられていて、エレベーターホールからドアを開けて入ると窓に沿った廊下状のところへと続く。見舞い客はそこから仕切りのガラス越しに無菌室にいるベッドの患者と壁に付けられた受話器で会話をするようになっている。ICUどころのものではない。
Mさんには私が石井先生の真似をして作った念力テープを差し上げていたのだが、よく聴いているといって私の訪問を喜んでくださった。
暫く状況説明を受けてから気を送った。気をいれるのにガラス越しでも遠隔治療というほどのこともないので何の問題もない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、骨髄移植は成功してMさんは元気になられた。
その後、カナダに来られた時、一緒に食事をしたり、日本に戻った時気を入れにお家にお邪魔したり、たまに電話でお話したりして親しくさせてもらっている。多少腎臓に治療の副作用として問題を抱えておられるが、今は同じ病気の方の相談に乗ったりしておられるようだ。
Mさんから聞いた話だが、駒込病院では当時骨髄移植の結果がはかばかしくなくどうしたものか悩んでいたそうだが、Mさんの成功でまた勇気づけられ頑張ることになったとお医者さんが言っていたということだ。
当時まだ下のお子さんは小学生だった。その子も今は成人している。本当に良かった。
(Mさんの話はこれで終わり)
  

Posted by江龍武at 12:08 Comments(0) 治療師への道

2007年10月02日

東奔西走

前回日本に行った頃から6ヵ月ほど経ったある日、MKさんのお母さんI夫人から電話があった。
久しぶりなので、Mさんはその後どうされてますかとお尋ねした。当然よい結果を期待して尋ねたのだが、そうではなかった。
実は、また娘が入院しまして・・・ということだ。
話によると、また急性状態になったらしい。それで、I夫人も近々日本に行くということだった。
小説でも嘘くさくてこんな展開はしないだろうが、丁度私もそのころ日本に行くことになっていた。
実は、(別の)Iさんから頼まれて飛行機代を出してもらって日本にご母堂の治療をしに行くことになっていた。Iさんとは以前バンクーバーに住んでおられたとき日本人経営のカラオケバーで知り合った。日本に帰られてからもバンクーバーに仕事で来る度に店に来ていただいてたので親交が続いていた。効かなかったら困るので・・・そういったのだが、それは仕方が無いという返事だし、Iさんのご姉妹も同意されてるそうだ。それなら2週間ということで引き受けることにした。
そんなことで日本に帰ったわけだが、Iさんのお母さんは新大阪駅の近くに住んでおられる。2週間の間できるだけ行く予定を立てていたし、東京にも行くので今度は2週間のレールパスを買っていった。滞在は3週間にしておいた。
Iさんと連絡をとり新大阪駅で待ち合わせ、家に案内してもらった。お母さんは80歳を超えておられたと思うが、しっかりとした方だった。昔のことで病名が思い出せないのが残念だが、2、3日に一回は行っていたと思う。
お母さんが終わると新大阪駅から東京に向かう。MKさんは今回最初入院されたのは前と同じ東邦大学病院だったが、東京都立駒込病院に代わったと連絡を受けていた。行き方も教えてもらってたのでJR田端駅で降り最初はバスに乗って行った。ぷらぷら歩くのが好きなので後の方はよく歩いた。
Mさんは顔のところをビニールテントのようなので覆い感染予防をされてたと思う。だから病室に入る時は、言われたとおりこちらも手を消毒して入っていた。
毛が抜けていたが明るく元気な方なので気丈に振る舞われており、その前向きな姿勢には何か教えられるものがあった。
Iさんのお母さんを2,3日に一回は診に行くから、親友宅で一泊か二泊してそこで親友関係を診て翌日新大阪に直接行くか、泊まらずに日帰りをするということを繰り返していた。
ある日Mさんを診たら肺がおかしく感じたのでそう伝えたが、お医者さんに私が言ったから調べて欲しいとは言えないことだ。次回行った時、Mさんは息が苦しいと言って調べてもらったと笑っていた。結果は肺炎になっていたということだった。これには感謝してもらったし、こちらとしても当たった事もあって本当に嬉しかった。
2週間のレールパスを最大限利用してカナダに戻った。
Mさんはまた今回も寛解された。Iさんのお母さんは孫の結婚式に東京まで出かけられたという報告をカナダでそれぞれ受けた。
(つづく)
  

Posted by江龍武at 13:59 Comments(0) 治療師への道

2007年10月01日

寛解

次の日、親友宅から病院に向かった。確か蒲田で降りてぷらぷら歩きながら東邦大学病院に行ったと思う。
MKさんにまた気を入れ、もう一度カナダに戻るまでに来ると伝え滋賀に帰った。
それからレールパスが切れる最後の日に日帰りで病院に行くためまた上京した。そして横浜の親友の友達にもその足で気をかけに行き滋賀に戻った。
そしてまた怖いことがその晩から二夜連続で生じた。
パジャマがぐしょぐしょになるほどの寝汗をかいた。一晩目はちょっと不気味に思ったが、あんなけの熱を吸い込んだんだからそんなこともあると高をくくっていたが、二晩目もまたぐしょぐしょにパジャマがなった時はこれはちょっとやばいんじゃないかと不安になった。身体もなんとなくだるかったし白血病を治すことの怖さを感じていた。
お陰さまで、寝汗はその二晩だけで終わりだるさもとれて普通に戻ったが、白血病の治療依頼が将来あっても同時期に二人の白血病を治すということだけはしてはならないと心した。
それで、今回のMKさんへの治療は終わりバンクーバーに戻った。
暫くしてからMKさんのお母さんから電話があった。そして、娘が無事寛解しましたということを知らせてもらった。
寛解などという言葉はその時始めて知ったが、慢性に戻ったというのか症状が落ち着いたということだったので少しは役に立てたかと喜んでいた。
白血病で慢性から急性になり寛解するというのはかなりまれな事のようだったし、白血病に気は有効なようだと思った。
(まだ続く)

  

Posted by江龍武at 13:28 Comments(0) 治療師への道

2007年09月30日

MKさん番外編

親友は当時横浜の緑園都市にあるマンションに住んでいた。私の気のことを同じマンションの友達に宣伝してくれたので、親友の所に泊まってる間に何人か診ることになっていた。MKさんの時は確か気の治療をするようになってから2回目だった。それで一回目の時にした人の紹介もあり、待っていて下さった方もいた。
東洋医学関係の治療師は一般的に遠くから来る者がよく効くように思われるのが常のことのように思う。受けに行くのも遠ければ遠いほど効くように思いたくなる。
こんな話がある。
私の地元で薬局をされていて子供の頃から知っていたAさんという人がいた。地元の人が、有名な鍼の先生がいるというので九州まで治療を受けに行かれたら、その先生がAさんだった。なんや~Aさんやないか!というようなことだったらしいが、とんだ灯台下暗しというか近すぎてありがたみが分からない。分かろうとしないといった方が正確かもしれない。
それに私の場合もそうだが、遠方でとか知らない方に治療する時、言動には注意している。言葉使いや行動・作法が上品というわけではないのを地元の人は知っているが、他所では抑制がきいてることもあって評価も高くなりがちのようだ。私という者を治療師としてみてくださってるし、その道にかけてはものすごく好きなことだし真面目に誠意を持っての言動が伴う。また、お出会いするのも頻繁ではないこともこの評価が長く続く要因だろう。
そんなことでそれ以降も毎回親友の所に行く度に人気者でいさせてもらった。
そのマンションは私の年代の方が多く、ほとんどの治療する対象は子供さんだった。
夜尿症や小児喘息とか成長痛とかここでは小児科医としての役目が多かった。
小児喘息は多かった。
これには体に2種類の気の分布がある。
全体が陰気になってる状態と、横隔膜辺を境に上が陽気下が陰気に分かれているケースだ。何度も言うが、私の治療は何に対してもすることは同じで陰気も陽気も感じない状態にするのが主だったことだ。することについては取り立てて書くことも無いが、ただ、甘いものを摂らないようアドバイスをすることにしている。小児喘息を治す上でこれは大事なことだと思っている。
大体において日本で売られている飲み物は砂糖が入りすぎている。今時はこの種の飲料の取り過ぎが悪いようだ。
(またまた続く)
  

Posted by江龍武at 11:46 Comments(0) 治療師への道

2007年09月29日

白血病

日本に帰国してから自分の用事をすませ、4,5日後に東京のKさんに電話した。
これこれで電話させていただいてるんですが、Mさんはいらっしゃいますかと電話口に出た女性に伝えた。その方は留守を預かってる方だったと思うが、入院されたんですがご主人に詳しいことはお聞き下さいという返事だった。
びっくりして早速教えてもらったご主人の電話に連絡した。
丁度私が帰国した頃、慢性から急性に変わって入院されたそうだ。白血病の知識はあまりなかったが、急性というのがよくないということは誰でも思うことだ。それで、私に何ができるものか分からないが、急いで東京行きを決めた。
外国人や外国に10年以上住んでるものはJRレイルパスというものが買える。これは新幹線で大阪東京間を一回往復するのにかかる費用で約一週間分乗り放題とお得なものだ。親友が横浜に住んでるので遊びに行くため大抵レールパスを持っていたから尻は軽い。
上京した日はとりあえず親友の所に泊めてもらって、次の日ご主人と約束した時間に所定の駅で会い、病院に連れて行ってもらった。
MKさんは明るい元気な女性だった。若い頃医学の道を志されたとかで白血病に対しても冷静だった。また、私のような治療にも好奇心旺盛で打ち解けてもらえ、始めて出会ったのにそんな気がしなかった。
白血病は骨髄移植とかの言葉から脊髄に問題があるというように捉えていたので、治療を始めてすぐに脊髄を狙うことにした。
脊髄の管の中に、イメージだが上から気を線のように入れていったら、それこそ焼けるような熱さの空気が出てくるのを感じた。それまでに、陰気だけでなく陽気も感じられるようになってはいたがこれほどまでに熱い感覚は無かった。色でいうなら灼熱の赤色という感じを受けた。
陽気というのを感じてもその意味するところはまだ分からなかったが、今では炎症部分や急性の癌の時、それから嫌なことだが、人が亡くなるときも感じることが多いように思っている。
陽気も陰気と同様これまた私にとっては同じ治療でそれがなくなるまで気を入れ続けるしかない。
一度の治療では到底治るとは思えない。その日も親友の所に泊まりに行くのでまた明日来ると約束して病院を後にした。
(また続く)
  

Posted by江龍武at 20:02 Comments(0) 治療師への道

2007年09月28日

広告

一年もすると、治療を受けてくれる人がまわりにいなくなってきた。治った人は来なくなるし治らない人も来なくなる。知り合いの紹介も一巡してしまったようだ。これでは練習にならないので、どうしようかと一計を案じた。まだ、治せるかどうか不安感もあり、やってはいるものの自分でも心底信じていないような感じでこんなことしていいものかと思ったが、広告をだすことにした。
バンクーバーには日本人向けのバンクーバー新報という週一回発行の新聞がある。後ろの方にクラシファイドという貸し部屋とか車売りますとかいろいろ簡単に広告できるページが設けられている。そこに 「気功します。無料。それから電話番号と名前」を入れてもらった。
広告はしたものの誰からも依頼はなかった。が、ある日、ご婦人の声で電話がかかってきた。
気功ということについて質問したいということだった。私も広告では気功と書いたものの気功ではないので、とりあえず私の思うところを伝えたら、実は・・・とはじまった。
東京にいる娘さんが慢性白血病で、気功を受けたりしてるという事を電話で訊いたものでどんなものかと思って電話したということだった。
私も白血病はしたこともないし効くとも効かないとも答えられないときだったが、丁度近々日本に行くことになってて横浜にも行くので、受けて損することはないしさせてもらいましょうかと提案した。それじゃ連絡先をお持ちしますということで、幾日も立たないうちに店の方に連絡先と地図までご丁寧に書いて持ってきてくださった。
(続く)
  

Posted by江龍武at 16:46 Comments(0) 治療師への道

2007年09月27日

謝礼

電話でできるということが分かってから、それまで店か当時持っていた事務所に来てもらっていたのを、こちらからまず電話でしてみましょうと提案するようにした。何事も練習しないと上手にならない。だから、その機会を持つようにしただけのことだ。
当時謝礼を要らないと言っても下さるのでどうしようかと思っていたこともある。
自分が授業料を払って手にしたものだったら、納得が行ったのだろうが、テープを聴いてできるようになったという後ろめたさのようなものとまだまだ練習中ということで謝礼には心が落ち着かなくって困った。正直言って贅沢のできるような収入はなかったので、ありがたいことは事実だが、これで食べていってはいけないような気がした。
カナダは星の数ほどボランティアの団体があり、多分キリスト教の博愛精神で寄付の行為が定着している。団体間には情報を交換するシステムがあるようで一つの団体に寄付すると次々と違う団体から寄付のお願いが来る。中には怪しげな金儲けの為に作った団体もあるようだった。
自分の稼いだのを寄付するのは贅沢してるわけでもないので、しぶしぶという感じでたまにしていたが、謝礼はその取扱に思案していたものだから自分の治療した病気関係の団体や親類縁者が抱えてる障害関係の団体を主体に寄付することにした。訪問治療の必要経費は申し訳ないが、謝礼から使わせてもらうことにした。甘いものを頂いたときは私は殆ど食べないので妻がいるときは妻のお腹に、居ないときは一つ味見だけして友達にお裾分けしてなくすようにしていた。
電話で治療した人には一回も出合ったことの無い人が沢山いる。紹介した人からその後の経過を知ることはできたのでそれで充分だった。
そんなことだから、電話治療が増えてから、謝礼を受ける機会が減ったので心の負担という意味では楽になった。ただ、問題は、寄付のお願いの郵便物の出し手にはそんなことは分からないので、カナダから引き上げる寸前までこれでもかとばかりにどんどん届けられた。別の意味でまた悩むことになった。とりあえず、貧者の一灯をともしたらよいとできる範囲で寄付を続けた。
  

Posted by江龍武at 12:38 Comments(0) 治療師への道

2007年09月25日

最初の電話治療

人の痛みもスムーズに移ってくるようになったし、大仏頭もできたし、神はいよいよ次なる段階へ私を追いやっていく。遠隔治療だ。今までの出来事は商売を止めたのを除いて、大体一年以内に進んでいる。今回もそんなことだった。
私が、ESP科学研究所の本とテープで目覚めたのは前に書いたが、そもそも母が発端だ。それで地元ではESPの石井先生がしていたことを本や話を通して知ってる人が多かった。
その中の私の小学校時代の恩師のK先生がカナダに電話して来た。何事かと思ったら、腰をいためたので石井先生のように電話で念力して欲しいというお願いだった。
そんなことしたことありませんし・・・と口ごもる私に、できる、できる、とにかくして!と懇願された。
それで効く効かないはともかくすることにしたが、どうしたらよいのかと少し思案して、閃いた。
口に持っていって話す方から気を送り、耳に当てて聞くほうから気を吸い出すということでなんとかなるんじゃないかと考えた。右手で送り左手で吸い込んだ。それは思ったとおり上手く行った。痛みも無事に(というのも変だが)移ってきた。暫くして終わってK先生と話したら楽になったと喜んでおられた。
電話を使ってするときは今でも基本的にはこの時と変わらない。ただ、気を送り吸うというプロセスが相手の振動というか波動を掴む意識に変わっている。今の治療時の私の前には人型でエネルギーの存在のようなものがある。その空間の場所と私および受け手の同じ場所が3点で繋がっている。つまり空間の人型の問題の場所に気を送れば相手のその場所に気が入り私の身体の対応する場所が反応するというようなことだ。そういうことなので今は途中で電話が切れても振動はすでに捕まえてるから問題ではない。
しかし、この時は目の前に人がいるのと同じやり方で、30メートルぐらいは飛ばせるかもしれないがそれ以上は?マークの時分だ。それでも気も振動だろうから電話線を伝わって入るだろうと思ったので受話器に向かって一生懸命気を送っていたのを憶えている。
その後、飲み友達のHさんの紹介で日本から語学の勉強に来ている元看護婦さんの不眠症の治療をする機会を持った。
治療を受けに来てもらう日時を決めるため電話していたときだ。私の身体から音をたてるような勢いでエネルギーが空を飛んでいく感覚に襲われた。あまりの勢いなので腕が震えるほどだった。その時、飛ばすのではないという遠隔治療の神髄を掴んだのかもしれない。(飛んでいったのに飛ばすのではないとはおかしい文章ですが、意味するところをご理解下さい。)
その方には数日後対面で治療をした。劇的に不眠症が治って、今までの分を取り戻すためか、一日ぐらい昏々と寝ることになり怖くなってそれっきりにしたいということをHさんから訊いた。
  

Posted by江龍武at 14:18 Comments(0) 治療師への道

2007年09月24日

第3次成長

暇さえあれば呼吸をするようにいつも気を入れたり出したりしていた。上げたり下げたりしていたものが、いつの間にか風船を膨らましたりしぼめたりしてるような感じになった。身体全体から四方八方に丸く気が出てるように感じる。その時は球の中心は何処かなんて考えなかったが、今試してみるとどうも武道の丹田より上のほうにあるようだ。確か武道の丹田は臍より少し下だったと思うが、私のはみぞおち辺を中心にしてるようだ。
インターネットで調べてみたら、臍下を臍下丹田、私の使ってるのは中丹田と呼ぶそうな。眉の間を上丹田というらしくこれを先日来開発しようとしてるらしい。こういうことを知るとなんとか正しいことをしようとしてるし、正しいことをしてきたようだし、訓練に力が入るというものだ。
何でも習い事というのは知識と実際の訓練が両輪としてあるということは以前よく遊んだ将棋でも囲碁でも知っている。どんなに本を読んでも知識だけでは何の役にも立たない。実践だけでは頭打ちの時が来る。そして会得すなわち体得するときが来るようだ。多分気の世界もそうだろう。私の場合、先生なしでここまで来られたのはラッキーとしかいいようがない。が、習ってないから教えられない。それに、頭打ちかもしれない。だから、今までの体験だけでも修行のお役に立つかと書いている。
話がそれたが、身体の内からの圧力の感じが面白く膨らましたりしぼめたりしていたら、突然頭が独立した風船になって同じように圧力感を持って膨らんだりしぼんだりを始めた。ちょっと頭がそうなるのは気味がわるいが、面白くもあるので調子に乗って頭の膨張収縮を意識的にやってみた。膨張収縮のリズムは呼吸のそれでも心臓のそれでもない。何度試してみても頭のリズムは独立していた。これが何を意味してるのかは今でも分からないが、アメリカの代替医療の方が同じ事を書いていたと覚えている。このリズムが狂うと良くないということだった。
リズムはともかく圧力をかけ続けていたら、頭頂がじぃ~んとちょっと痛いような痺れてるような感じになった。これまたちょっと不安なことだがめげずに同じように膨張収縮を続けていたら、一週間もかからなかったと思う、頭のてっぺんがコブのように膨れていた。
これについては仙道入門の作者がものすごい気の上昇で頭が膨れたと書いていたのを思い出し、異常なことではない(異常だけど・・・)とは思ったが、まさか頭蓋骨が動いて変形するなんて信じられなかった。それもたった一週間ほどの出来事だ。
私はこの頭が膨れ出る身体的変化を第3次成長と呼んでいる。
角という人もいるが鬼じゃ~ないし、大仏様の像はなんか頭が出てるように思うので、それ以来大仏頭とも形容している。
第3次成長はカナダで治療院を開いたOさんも出てきたと言っていた。
また最近では姪のYが頭頂がコブのようになったと言って心配でCTやMRIまで撮る騒ぎになった。私は自分のことがあるので訓練もせずすごいもんだと感嘆していたが、本人は訓練してなったものでないから心配だったんだろう。お医者さんはそんなことはありえないと言い、しかし興味があるからまた見せに来てくださいということだった。これも一週間ほどの出来事だ。
  

Posted by江龍武at 14:03 Comments(0) 治療師への道

2007年09月23日

気の鍛錬

治療をするかたわら、自分の気の鍛錬にも努めていた。
気功の訓練には内気功と外気功、小周天と大周天というようなものがある。詳しいことは先生がいないので分からない。私の知識は仙道入門と阿含宗の桐山氏の書いた求聞持聡明法および西野皓三氏の気の発見という本からだし、自分で我流で試しただけだから正しいのか間違ってるのかも分からない。
そんなことだが、とりあえず熱感としてあるいはぴりぴりとした電気的な感じおよび磁石の反発のような気の感覚はあるので身体の中を本に書いてあるように熱感で動かしたり電気的に動かしたりしていた。丹田で熱を出し肛門の方に持っていって背骨に沿って上げて頭頂に至り前の正中線に沿って下ろしてくるのだが、なかなか首から頭頂にかけてが上手く行かなかった。
本に書いてあったが、頭の部分を動かすときは熱では脳に悪いので電気的な感覚で動かさないといけないそうだ。また空車がまわるといって思い込みで廻してしまうことはくれぐれも気をつけないといけないそうだ。
あせってはいけないと何度も何度も挑戦してるうちに関所を乗り越える日がやってきた。首の根元の塊のようなものがついに扉を開いて侵入を許してくれた。
それ以降、暫くは背骨に沿って上げ頭頂で一度保持し前に下ろしてとやっていたが、ある時身体の前から後に向けて一周廻すというよりあたかも体は太いパイプで上げ下げだけで身体全体に気が行き渡るようになった。もちろん意識的に廻すこともできるがそんな必要もないと思った。
気を取り入れるときは息を吸い、気を放出するときは息を吐くときに合わせる。
余談だが、治療中はだから長く吐く息が要求される。私の場合治療中は一分間に約2回息をするが、30秒以上息を吐いて1,2秒吸い、また30秒ほど息を吐く感じでやっている。催眠術は一分間に5回ほど息をするのがよいということを女性を口説くのが上手な知り合いKさんに聞いたことがある。それは私のような長い息では相手がついて来られず催眠状態にならないという説明だった。そう言われると私の患者は治療中覚醒している。覚醒していると私の動きで気がそれるといけないと思い、いつの頃からか目を閉じて受けてもらうことにしている。
それはともかく、息を吐くように身体から気を放出するとき、身体は内部から圧力を加えられたように膨張する感じがするようになった。
そして私が第3次成長と呼ぶ変化が身体に生じる。
  

Posted by江龍武at 16:56 Comments(0) 治療師への道

2007年09月20日

人間らしくない?

ちょっといつ頃のことか忘れたがやり始めて1年過ぎた頃だったと思う。あまりにも人の悪いところに無意識に感応し過ぎるのでこれでは身体がもたないと思い、感応しなくするよう心がけるようになった。
自分から人の痛みをもらいにいって、悪いところを指摘したり限られた時間だからそれを利用して効率よく気を入れるようしていたが、どこか具合の悪いお客さんが来店されただけで身体が痛むようになってしまった。
無意識でもらってしまうと、気を取り入れて出すという同時進行で皮一枚で止めていたのが、上手く働かないように思えたし、実際その無意識にもらった痛みはしつこく身体に滞在する傾向があった。
気を出さない使わないというのは仏陀もそれが大事な能力だと何かで読んでたので、それを手に入れなければと思ったがさてさてどうしたものやら分からない。
とにかく感情を出さないというか心を動かさないというように努めたらどうだろうと思った。
ラッキーだったことは、それまでの人生で喜怒哀楽の起伏を小さくしてさらにその起伏の中心線というようなものがあるとしたらそれを上げるということが至福というものに到達しいつも楽しく生きていける方法ではないかと思い心がけていたのが役に立った。
哀れんだり同情したりすることをそれから極力思わないようにした。そっけなく人と対応したりもした。言葉に感情を入れないようにも努めた。ありとあらゆる方法で心を動かさない努力をした。
バンクーバーのダウンタウンには物乞いが多い。25セント(約25円)くれと声をかけてくる。その都度、嫌だとかどうしようとか可哀想とか思うのもよくない。ポケットにいつも多量の25セントコインを入れておいて心を動かさないように声がかかったら機械的に渡すようにもした。これは面白い結果になったのだが、物乞いがいつのまにか私に声をかけなくなった。
そして努力の甲斐あって、私は気を出す必要なときだけ治療相手の悪いところに感応するようになった。
心を動かさないといっても、全然動かさないで暮らすことはできない。ただ冷たくみえるかもしれないが、同情とか哀れみとかの感情はかなり鈍感になったかもしれない。楽しいこととか喜びには痛みを伴わないので動いてもかまわないがこれもそんなに動かない。悲しみをしってると喜びが、苦労をすると楽が分かるのだろう。その感情の振幅が大きいほど喜びも悲しみも苦労も楽も大きくって楽しめるのかもしれないが、そんな人間らしい生活をしていたら治療はできない。だから感情を表現する芸術を鑑賞するのは苦手になった。そんなことで、リースが切れたとき商売もそれではできないので閉店した。そんな人生面白くないだろうと思われるだろうが、心の静かなのが一番居心地がいい。だから淡々と生きている。
私がまだ上手く行かないのは怒りと恐怖の感情のコントロールだ。バンクーバーではかなりのところまでいってたのに日本に戻ってからまた振り出しに戻ったように思ってる。ビタミンBも摂ってるんだが・・・
  

Posted by江龍武at 17:52 Comments(1) 治療師への道

2007年09月19日

オーラの色

先日気が合うで振動とか周波数とかについて考えていることを書いたが、それに関係するのでオーラの色について書こう。
私はオーラというものが見えないのでまたまた霊感のあるKちゃんに登場してもらうことになる。
Kちゃんによるとオーラにはいろんな色があるそうだ。それは我々が見ている虹の色のようなものらしい。
波長があうとかよく言うが、Kちゃんによると恋人同士でも全然違った色の二人が付き合ってることがあるらしい。そういう場合、大体というか殆ど最終的に上手く行かないそうだ。
私がまだこの力に目覚めてないでカナダで店をしていたとき、隣にちょっと危ない商売をする同業者がいた。ブランド物の贋物をほんもの価格で売ったりしていた。そんな店にそういう商品があることはちょっとおかしいと思うお客さんは、ほんものですか?と尋ねるが、それには、見る人が見たら分かります、という上手い答えが用意されてる。
Kちゃんが私の店に来ようとして歩道を歩いてくると、私の店からとその隣の店からの発している色が全然違うそうだ。どちらも強い気が出ているそうだが、私の店からはキラキラとした気が、隣からは二度と見たくないようなどす黒い色の気が戸口から道に向かって出ていたそうだ。
面白いことに、なにかうちのお客さんのタイプじゃないなと思うお客さんは居心地が悪いのかそそくさと出て行って隣に入って買っていた。怖い顔の根性の座ったような顔相の人に多かった。
Kちゃんによると昔から腹黒というが、本当に根性の悪い人は黒いオーラをまとっているということだ。そそくさと出て行ったお客さんも黒っぽいオーラの人だったんだろうと思ったが、いかんせん相手が悪い。同じ黒さでも気の強さが違う。簡単に手玉にとられて買わされたことだろう。上には上があるから悪い世界に属するのは大変だ。
私の色はというと、Kちゃんによるとクリスタルということだ。つまり透明ということだが、それでは見えないだろうと尋ねたら、キラキラと反射してるので分かるそうだ。私の気も強いそうで黒い強い隣のオーラに負けてないということだった。
この時の、クリスタルという指摘が私に治療を続けさせている一つの要素でもある。
いろんな信号を受けて相手の悪いところが分かるということは、こちらからも相手に影響を与えると考えてもおかしくない。それで、できるだけそんな影響を与えたくないので、生きとし生けるものが太陽を浴びてるように、透明なら誰が治療を受けても問題ないと考えている。だからKちゃんにはたまに色が付いてないか見てくれるようお願いする。もし私のオーラが変な色になっていたら、即治療を止めることにしている。
暫く見てもらってないので近々お願いすることにしよう。日本に住むようになってから人付き合いで疲れるときがあるからオーラも変質してるかもしれないし・・・
影響があったかなという例を一つ。
以前、家族がお世話になっている和知町のUさんのお孫さんが小児喘息で頼んで来られたことがある。何年か前お会いしたとき、治療してもらったあの孫もあれ以来元気になって喜んでますが、学校で先生や女の子のスカートをめくるんで困ってます。ということだ。
冗談のように私のスケベが移ったかな?と言ったものの反省してます。
  

Posted by江龍武at 13:49 Comments(0) 治療師への道

2007年09月17日

気が合う

どんどん気をかけていたが、誰もが治ったわけではない。治るということの判断は難しいのだが、目に見える感じで良くなるという意味では効かなかったと思うことがよくあった。それが、後日快方に向かうこともあったかもしれないが、その検証はできない。
効く効かないを考えてみると、よく効くと思うグループはまず家族、親戚、友達と近しいものが殆どだった。友達の友達だとすでに?マークが付きその友達の紹介になると治せるという自信はなかった。
それに妻の生理痛も6ヶ月ぐらいして良くなってきて最終的には治ったのだが、これには効かないと思ってた時期で病気、症状で効果がかなり違った。
このような目に見えない力というものへの一般的な期待は奇跡的な治り方だから受ける人は即の効果を期待している。期待に応えられたときの治った喜びと期待に応えられなかったときの治らない失望感でやめようか続けようかと悩むことがこれから先も続くが、続けられたのは気を使って人を治すことがなぜかものすごく楽しく好きだったからとしか言えない。治った方の驚いた声音、喜びの声を聞くのがなにものにも代えられない喜びだった。
そうやって続けてきたのだが、目立った効果のない方がいたお陰で気の振動、周波数について考えることになる。
家族は遺伝子を分けていることで当然重なってる部分が多いし親戚はまた家族ほどでないにしても遺伝子的にも似かよってるし共有した時間も多い。友達は類は友を呼ぶじゃないが、似た気のものが集まったのだろう。普段から親しい関係にあるから気が共鳴しやすく情報の交換が得やすいと思われる。
それでできることなら効果のある近しい人だけやってたら効果も大きいし治らなくっても笑い話で済むしと行きたい所だったが、それでは治療師として役にたたないし練習する上で数がこなせないという現実がある。
それでそういうようなことも話して友達の友達位を練習のターゲットとして紹介してもらうようにした。そしてまた、友達の友達の友達と輪を広げていって大体人類の80%には感応できるようには今はなってるようだ。(といっても今は縁のある人しかしないからその結果なので大きなことは言えないのかもしれない。)
一般的には掌と指から気を出して治療するが、それは触覚も使えるし細かい仕事つまり小さい身体の部分に効率的に気を送り込むことができるから便利ということでそうなる。しかし、気は身体のどこからでも出せる。特に気が合う関係にいるならアストラル体を体外に押し出す形でも治せることを母とこの年一緒にドライブ旅行したとき経験した。
アストラル体とかの知識は仙道入門とか治療した患者さんが貸してくれる本で読んでいたし練習もしていた。最初の内は治療を受ける人の方が知識があることの方が多かった。私の場合、まずできるようになってそれから後々本を読んでその種の知識を得たという変わった経歴だ。
それはともかくモーテルで宿泊した次の日、ハンドルを握っていたら、母が寝違いしたという。ハンドルを握ってるし後部座席に座ってる母には手ではやりにくい。それで運転しながらエネルギーの塊のようなものを出しそれに母の情報を吸わせるようなつもりでやったら、私の首がぽきっとなって母の寝違いは一瞬に治った。
意味がないのでこの方法はあまり使わないが、気が合ってるとこんな治し方もできる。
  

Posted by江龍武at 11:59 Comments(0) 治療師への道

2007年09月12日

道が開く

ある日店に仲良くしてる日系のおじさんトニーと同じく日系人のナンシーがやってきた。ナンシーに会うのはこの時が初めてだった。エドモントンでよくお世話になる夫妻の紹介で治療を受けに訪ねて来られた。
ナンシーは糖尿病で目があまり見えなくなっていた。インシュリンも注射していたほどの糖尿だった。
気で糖尿病が治せるかというと治る人もいるかもしれないが、正直な話今でも無理だと思ってる。ただし、本人が運動をし、甘いものを制限し、腹八分目で早寝早起きというような生活をするなら気を入れることは有効に働くだろう。生活習慣病というのはその人の生活から来てるから、ざるで水をすくえないように悪くなる生活を正さない限り気も身体に残れない。
ナンシーはその後も長く私のところへ気を受けにかよってきたが、、以上書いたような生活は分かったというだけで決して実行しなかった。それでも受けると楽になるようで喜んで来ていた。
その日、30分ほど気を送っただろうか。彼らが帰った後、私は妻にしんどさを訴えた。訴えたところでどうなるものでもないが、とにかくしんどかった。それは3時間ほど続いた。その間、私の身体は頭の先から指の先まで全身くまなく氷のように冷たくなっていた。まるで死体のようなものだ。本人の自覚だけでなく妻が触ってもその冷たさは感じられる。どうなるのかとこのときばかりはぞっとした。
3時間後ゆっくりとであるが、なんとかぬくもりが戻ってきて普通の状態になった時は本当に安堵した。
そんなことがあったが、とりあえず直ったから次の日からも治療を止めることなく続けた。
今度は奇妙なことがそれ以降起こった。
治療後、足は温かいが腰から上は冷たくなった。治療を続けていくにつれ、暖かい箇所と冷たい箇所の境目が上に上がってきて、冷たい箇所がだんだん小さくくなっていった。それが腕だけになりもうちょっとで全部暖かくなると思ってるうちに手首から先だけが冷たくなるだけになった。この状態はかなり長く続いた。そして、本当に最後に手の平の表面、皮一枚で冷たさを止められることができるようになった。
これは何を意味するのかと考えた結論を私の推測に過ぎないが書いておきたい。
以前70人したことを書いたが、あの時足が冷たいので上げて治療したと書いた。そしてナンシーで全身が冷たくなったということは、後の推移から考えると自分が本来持っている陽気を治療に使っていたと考えられないだろうか。人間はどうも活動するときに陽のエネルギーを使って活動するようで、陽気を使うのは練習しなくてもできるのだろう。ナンシーがあまりにも冷たい風を吹き付けてくるものだからそれを取り去るために今まで以上に気を送り込んでどうも自分の陽気を使い果たしたらしい。それから3時間は私の充電期間のようなもので外部から気が入ってきたのだろう。あまりに空になったものだから気を吸い込む力が強くなったというか、負圧のようなものが働いたと考えられる。それでエネルギーを取り込む道が開いたと思っている。
その道はどんどん太くなっていき、出す気の量と等しくなった時皮一枚で冷気を止められるようになったと考えてもおかしくない。それ以来私は、自分の体を外界からエネルギーを取り入れ、治療相手にエネルギーを渡すパイプ役というように捉えている。
治療をするときは殆どの場合、手の平か指先から出す。最後に冷たくなる箇所が腕、手と収斂して行ったのもまた当然と思える。
  

Posted by江龍武at 20:07 Comments(0) 治療師への道