執着
午前中は畑にいた。
種を蒔きすぎて多すぎるほど苗ができたトマトを、少しでも植えようと場所を作る必要に迫られた。
昨年来のネギをプランターに移してそこに植えるのが一番具合が良かった。
ネギというのは面白い。
葱坊主を取ってそのままにしておいたら、その根元から新しいネギが更新していた。
葱坊主を取ったあとは硬くなり茶色くなってるのが殆どで、それを引き剥がしたら立派なネギが残った。
これなら食べ切れなかっても問題ないので、今年のネギ苗は沢山買って植えておこうと思った。
ネギは種を蒔いて作ったこともあるが、干しネギまで育てる場所がないので、買うことにしている。
そんなことをして空けた場所にトマトは6本しか植わらなかった。
残った苗の数は70本。
おいおい、どうするんや~
昼食時に妻と、「執着」という言葉について語った。
ここ一ヶ月ほど引っかかってる言葉だが、心が思ってることが言葉にならない。
ああでもないこうでもないと言って説明しようとするのだがなかなか上手く表現できない。
「執着」とか「欲」とか、それがあると指摘されるとなにか後ろめたいような気になることはないですか?
宗教団体がよくこういう言葉を使って、人から金品を巻き上げてる気がする。
スピリチュアルな世界に入ると、このような言葉についてはかなり深く掘り下げる必要があるように感じている。
今日の妻との会話では、「執着」という言葉はネガティブな感じがするので、とりあえず「大事にする」と言うのがいいのではないかという結論になった。
全てが無常であるが、大事にする。
「欲」については語ってない。
ダライラマが、確か、欲は行動するためのモティベーションだと言ってたと思う。
なにか言い換える言葉はありませんか?
昼食後もまだ雨が降らないので、少しでも外仕事をしておこうとツツジの刈り込みをできるだけした。
それからは、日課の病院。
MKさんは、落ち着いたようだ。
とはいえ、CTでは転院時から脳は真っ黒なのでただ生きてるだけなのだが、それでもそこに価値がある。
命を大事にする。それで十分。
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