畑の野菜と名工の酒
昨日から一泊二日で和歌山から知人が来ていた。
知人といっても会うのは妻が三回目で私にいたっては一度お会いしたと思うといったような程度の方。
遡れば、1981年に妻に任せていたバンクーバーの小さな店に訪ねてきたお客さんで、ホームステイをされていたはず。
それから、クリスマスカードが届くようになり、1991年だったかお子さんを連れてカナダに来られた時お出会いしたのが二度目のようだ。
それからもクリスマスカード、日本に戻ってからは年賀状、他にはミクシーでのやり取りが妻とあったが、先日出会いませんか?と妻に連絡があった。
大阪か京都で会いましょうかというような話だったが、それでは会う時間は大してないだろうし泊まりに来てもらったらどうだ?と言って昨日からの運びになった。
昨日は信楽のミホミュージアム、今日は湖南市石部の長寿寺、湖南市菩提寺の西応寺、大津の石山寺を案内して別れた。
昨夜の食事は、出来るだけ私の畑のものを味わってもらおうとした
春菊の胡麻和え、金時人参のお煮しめ、北海道で買ったLLサイズの冷凍帆立貝の刺身につけた大根のつま、赤玉ねぎにかつおゆず近江、地鶏の水炊きにはチンゲンサイ。
ビールはキルケニーを試してもらい、日本酒は久保田の碧寿。
お客さんより私のほうが楽しんだ。
石山駅で別れた後、病院によって家に戻ってきたら日本に来ているYさんから小包が二つ届いていた。
一つは頼んだシーザーサラダのキット。
ローマンレタスがもう早く食べろというばかりになっているのでこれは嬉しい。
あと一つはすごいうたい文句の日本酒だった。
添えられていた手紙にはもう日本にいないような感じにも受け取れるようなことが書いてあったが、とりあえず試しに宿泊先のホテルに電話したら、な~んだ、まだいるじゃないというようなことでお礼を言えた。
お酒のお礼を言ったら、私も飲んだことがないから感想をブログにでも書いてちょうだいといわれた。
感想を尋ねられるのって表現力に乏しいので辛いというようなことを言ったが、まあ、思ったところを書いておきたい。
箱には能登杜氏農口尚彦、黄綬褒章受賞とあってまずびっくり。
石川県加賀市の鹿野酒造株式会社の常きげん山廃純米大吟醸で現代の名工 能登杜氏 農口尚彦という限定の一本。
原料米は山田錦、精米歩合50%、日本酒度+4、アルコール分16~17度。
開けるのは惜しい気もするが、早く感想を伝えたいという思いが勝った。
一口目。
以外に普通。インパクトがない。なに、これ?大吟醸にしては吟醸香もあまりない。
ふ~~ん。
二口目。
もっと多めに口に含む。
うま味を口に感じ出す。さらっとしてる。きれがいい。水を飲んだような感じもする。
まだ良さが分からない。
美味しいのは間違いないが表現できない。
食事の内容が日本酒向きだったのが幸いした。
この酒は舌を洗う。
食べたものによって味わいが変わる。
時に甘く、時に苦く、時に水のように変幻自在と味が変わる。
あるときは、ないような吟醸香が強く出たときもあった。
そして肴がないときは全ての味は渾然一体となってどれもが主張することなく水のごとくあるようだ。
山廃仕込のお酒にはこういう特徴があるのかもしれない。
先日飲んだ山廃仕込にも、これほど洗練された味ではなかったが、同じように感じたことを思い出した。
ところで、山廃仕込みって知ってますか?
酒の酒母作りには二種類あって、速醸主母と生もと系酒母というのがありますが、その生もと系の作り方に山卸しというのがあります。
米と米麹と水を合わして山状に膨れたのを櫂ですりおろす作業です。
その山卸しをしない、廃止したということで、山廃仕込み(山卸し廃止仕込み)というようです。
確か、櫂でつぶすなな麹でつぶせとか言うはずですが、麹の糖化作用をもってして櫂ですりおろす工程の代わりとするということだったと思います。
速醸が合成乳酸を使うのに対して、生もとは自然の乳酸菌を取り入れるのですが、そこに主張しない味の鍵があるのかもしれないと思ったようなことでした。
そう思って飲まないと私には分かりませんが、乳酸菌由来の乳酸にはなにかその生成プロセスに違いがあるのかもしれないですね。
そんなことを考えながら感想をどう伝えたらいいだろうとああでもないこうでもないと飲みながら考えてたら四合瓶が空になりました。
味が分かる前になくなった感じです(笑)
関連記事