掘り出し物の大鍋

江龍武

2009年04月19日 22:17

ここんところ先日転んで強打したところが驚異的な回復振りとはいえ何をしてもいててててっということになる。
木に登っての剪定が残っているが左手の握力が頼りないのでそれはさすがに諦めて、先日の雨で出始めた竹の子掘りをぽちぽちしている。
昨日また見に行ったら今年初めて大きなのが採れた。
しかし大きさも数においても昨年のことを思うとしれている。
全部で9本ほどしかなかった。
妻も来ていたので痛みのため少し運ぶのを手伝ってもらいながら一緒に竹林から戻る時、父が立てた小屋で今は倒れて朽ち果てかけているそのトタン屋根の下の残骸の中にドラム缶を切ったようなのがあるのを妻が見て、「あれ竹の子茹でるのに使えないの?」と言った。

というのも、昨年のクリスマスにターキーを焼いた時空焚きでアク抜きに使っていた大鍋を壊してしまったので、今年は竹の子のあく抜きに知人からアルミの寸胴鍋を借りて焚口のある一段目だけ残ったコンクリートの焼却炉に載せ戸外で薪を燃やしながらやっているが、それがいまいち小さいと二人で思いながらしているからだが・・・

「あれは、ドラム缶を切ったもんでカマド代わりに使うためのもんやと思う」と答えたのだが、いつもならそれで通り過ぎるところを妻にしっかり見せたくなったのかそれがあるところに近付いた。
そして、ほらっとそれを少し触ったとき、その横の土の上に丸い錆びた鉄製の物体を見つけた。
なんやこれ、お釜みたいやなと思い、妻に大鍋みたいのがあったと言った。
妻もやってきたが直ぐには私が何を指して言ってるのか分からなかったようだ。
丁度竹の子掘りの鍬を持ってたので埋まっている土をそれでどけて全体を取り出したら、神様からの贈り物かと思うような大鍋が出てきた。
外も中も錆で抹茶色だが完全な形をしていて使えそう。
天にも昇るような気分で家にもって帰り、母に見せたらびっくりしていた。
しかし、昔父が事業をしたときの物だと思うが、それがあったことすら憶えていなかった。
私も子供だったがそれが使われていたのを憶えていないし、第一それをはめ込むような竈はなかった。
ということは、その大鍋の隣のドラム缶を切った上に載せていたのかもしれないと思える。

そんな詮索はともかく、焼却炉に乗せてみたら底がうまい具合にはまった。
それで、使うために錆を落とすことになった。
最初暫くはスチールタワシでやってみたがあまりに大変なので鎌などを研ぐ小さな砥石があったのでそれを使うことにした。
がりがりいわしながら中をこすったが、使ってるうちになんとかなるやろうとほどほどにして水で流し再度焼却炉にセットしてひとまず昼食休憩とした。



さてさて、昼食後大鍋に水と糠をまず少し入れ竹の子の先を斜めに落として入れながら水を張ったが、採ってきたのが全部入って竹の子が泳ぐほどの余裕があった。
一番上の広いところの直径は67センチ、首の所で約60センチという大きさ。
蓋はないので一番大きい鍋蓋を落し蓋としたが、それがものすごく小さく見えた。

それで、茹でた竹の子を今日食べたが、アクが上手に抜けていた。
寸胴鍋を使ったとき立てて入れられるものだから隙間なくという感じで茹でたがその竹の子はえぐかった。
結局上手なアク抜きは糠はともかくたっぷりの水で茹で上げるのが一番なのかもしれない。

ということで、その上手にアク抜きできた竹の子を使った今日の料理は、鶏肉と竹の子を薄味で煮たのに最後に採ってきた花山椒ををどばっと最後に放り込んだのだが、これはいくらでも食べられるような一品に仕上がった。
花山椒を使ったのは初めてでしたが、お気に入りとなりました^^


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