癖を取る

江龍武

2007年10月21日 12:19

人間歳を重ねてくると知らず知らずのうちに癖が付いている。
靴底を見ると分かるが、ほとんどの人はどこかが偏って減っているに違いない。新しい靴を履いて違和感を持ったら歩き方に癖が付いていると思うべきだ。
昨年引退したディープインパクトという馬は蹄鉄が均等に減ったということだ。それで地面をしっかり掴めたので強かったらしいが、人間も足の裏でしっかり地面を掴むように歩くのが良いと思う。
私は出来るだけ正しい姿勢を保ちながら、足の親指と人差し指の間を真っ直ぐ前に運ぶようにしている。そのためか、大学時代の友人の妻であるカイロプラクターのT姫に、歩き方に気をつけてるかと訊かれ、足が綺麗だと褒められたことがある。
ゴルフでは芝生を歩いている姿が美しくない人は駄目らしい。そんなこともあって歩き方に気をつけ始めたが、ゴルフはそれだけではないようで上手くならなかった。
ショルダーバッグを普段使っている人は紐をかける肩を頻繁に替えるのをお勧めする。試してみると分かるが、卵一個ほどの重さのものでも、肩に乗せると落とさないように意識が働くのか、その肩を上げてしまう。それで、首の左右の筋肉のバランスが崩れ、癖が付き、肩こりが始まる。
いつも座っている所が快適と思うようになったら癖が付いている。
食事をする時テレビを見ながらの人は特に気をつけたほうが良い。テレビは大体コーナーに置いてあるのでそれを見るため首をそちらに向けることになる。以前、私の治療してる人が斜視になったというので、座る場所を替えるようにアドバイスしたら治った。
仲良く同じ布団で寝てる人は、寝る場所を替えるのが良い。例えば、いつも心臓や肝臓が下になるのと上になるのでは体への影響があると考えるのが自然だ。
体だけでなく、考え方にも歳を取るにつれ癖が付いている。
一度付いた癖は意識的にしないと取れるものではない。筋肉の場合でも難しいが、それが考え方や心の使い方にいたってはほとんどお手上げかもしれない。
多くの人は自己否定のように感じ、今までの人生観を肯定するための弁解なら考え付くが癖を直そうとする考えに目をつぶっている。
商売したり勝負事をしたり議論したりとにかく相手がいる限りその癖を見抜くのが有利に進めることにもなるが、そんな生々しいことにでも自分に癖はないほうがいい。癖がないと相手の癖がよく分かる。
習い事でも始めに変な癖が付くといずれ上達が阻まれる。人生もそうだと思っている。
昨日書いたが、癖があると今の人生でも生まれ変わってもスパイラル上に存在する。進んでいるようだが、スプリングを思い浮かべたら分かるが、長さは短くなるがどこを切っても同じと思える。解脱というのはこのスパイラルから解放されることではないかと思ったりしている。
常にこれでよいのかと改善するのが精神にも大事だと思う。そのためにも心の使い方、考え方の癖を把握しないとできない。これは他人と話すことによって常に比較してみるのが基本だろう。良いと思うところは貪欲に吸収し、自己の考え方、心の使い方を常に冷静に見直す作業がいる。
癖付いた自己存在をこれが自分だと肯定しないことだ。目指すは仏陀でありキリストでありワンネスといわれるものだと思っている。
仏陀も癖を取ることが大事と言っている。人間なくて七癖というほど癖はある。
体も心も人生も自由自在に動くように、今から癖を取るように努めませんか。


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