眼瞼下垂
カナダに行ってからしばらくして酸素透過性の材料でできた日本でオーツーと呼ぶコンタクトレンズができた。目の表面には血管がないので酸素と潤いが必要とか。それを聞いたら、それは誰が考えても良いと思う。
それで、眼科医に見てもらったとき検眼したら度も進んでいたし、新しいハードコンタクトレンズをそのO2で作ることにした。酸素が通るということでか、サイズも大きかった。これなら外れにくいと喜んだ。
ある日喜んで使っていたら、具合が悪くなった。1990年の頃だったと思う。目がごろごろする。買ったところへ行ったらたんぱく質が付いて汚れているとかで、綺麗にしてくれたが、洗い方を丁寧にするよう教えられた。
それでも、ごろごろする日がその後も良くあった。レンズを削って(!)もらったり新しいのを作ってもらったりして、なんとか快適にならないかとやっていた。
そんなある日、まぶたが上がらなくなった。一生懸命上げようとするのだが、上がらない。はは~ん、これが昔萬屋錦之助がなったという眼瞼下垂というものかとわりと冷静に思ったが、これは困ったと思った。これに関しては、病院に行っても治らないとその時も思ったし今でも思っているのだが、さて、どうしたものか。原因も分からないしその当時は今のように気も使えない時で手のうちようがなかった。
お医者さんに聞いたわけではないが、手術をするといっても、落ちてるまぶたを上げたら、今度は落ちないから寝てる時に目を開けて寝ることになるはずだ。それでは埃が入るじゃないか。目も乾くだろうし目にも良くない。
そんなことで、勝手な自己判断で病院では治せないということにして腹をくくった。
私は、妻に、目が使えなくなるかもしれないので最後になるかもしれないドライブをしたいのでロッキーを見に行こうと提案した。しょぼしょぼとしかあけられない目だが、まだコンタクトレンズを入れたら顎を上げてたら見えるのでそれで片道1000キロほどのロッキー山脈から恐竜の街ドラムヘラー、エドモントンと足を伸ばし帰ってきた。それでもう車の運転は思い残すことがないと満足して、もうそんなに視力もいらないとコンタクトはやめ眼鏡にした。これはどういうことかというと、カナダでは矯正視力を1.2にする。日本では1.0ぐらいだ。私の場合、眼鏡で1.2は度がきつすぎて目が疲れるので強いのも持っていたが使わず、眼鏡は弱くしてあるのを使った。
そして、そんな眼瞼下垂の目では店頭に立っていられないと思い、将来はマッサージか針灸を習って生計を立てるしかないと考えて妻にも話していた。
しかし、ありがたいことにコンタクトを外したら、直ぐにではないが、眼瞼下垂が治ってしまった。
その経験からO2のハードコンタクトは目をドライアイにするのではないかと思っている。それで眼球への刺激が強くなってまぶたが熱を持つのではないだろうか。これは当たらずとも遠からずと思っている。なぜO2かというと、それにしてから数年も立たないうちになったのでそう思っている。
O2ハードレンズ犯人説を裏付ける私と同じような例を最近確認した。
地元の知り合いが、今眼瞼下垂で困っているということを妻から聞いた。やはりO2のハードコンタクトを使用していたらしい。知り合いは私のように自分勝手な考えはしなかったので、当たり前のことだけどお医者さんに行って、ボツリヌス菌の毒を打ってもらった。暫くは治っていたそうだが、また元に戻ったらしい。
妻がその夫に私のことを話したら、夫からそれが伝わってやっと治るかもしれないという希望が持てたようだ。
先日妻が本人に出合ったとき、私の場合は勝手に治ったけど気で治るかもしれないと思い、私がそういうことをすることも教えたということだ。たぶん私のケースと同じなので気で治ると思っている。これは、まぶたにある熱を取れば済む話だし熱が出る原因のところを治したらよいだけの話だと思っている。早く来たらいいのにと思うが、催促することではない。
コンタクトレンズは、目の健康を考えるなら使わないに越したことはないが、使うならソフトレンズの一日使い捨てが一番良いと思う。それを角膜内皮細胞が少ないと診断されてから使い始めた妻は、コスト面からめかしこむ外出時だけ使っている。
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