陽明文庫
従姉妹のMちゃんが犬の治療のお礼にと、妻と私を近衛文麿が創設した陽明文庫なるものの見学会に招待してくれた。
私達二人がそんな知的な会に参加していいものだろうかとか、猫に小判やとか思ったが、千年も前の国宝に指定されている巻物が見られるらしいことが分かり、肌で感じてみたいと思った。
先日Mちゃんが電話してくれたときマスクは用意すると妻に言ってくれたのだが、それを伝え聞いたとき千年もの古い物を見るときは、エジプトのファラオの呪いじゃないけど何か悪い菌に感染しないためかと本当に思った。
妻が唾が飛んだりするのを防ぐためやと思うと言ったとき、そら、そうや~と思ったが、そんな考えが浮かぶこと事態おかしい。
格好が悪いので、自己防衛本能が強いと説明して笑ってるが、どういう感覚してるんでしょうね。
実際、案内していただいた名和修文庫長によると陽明文庫は露出陳列なのでマスクを着用して口からの唾がかからないようにしてもらうという説明があり、マスクを持参してるかどうか確認がまずあった。
陽明文庫の陳列倉の前で暫く近衛家と陽明文庫の説明を受けた。
近衛家は藤原鎌足に始まる藤原の別れで、近衛、鷹司、九条、二条、一条各家を五摂家と呼ぶそうだが、近衛家を陽明御殿という屋号のような名があるように、他のそれぞれにも順に楊梅、陶化、銅駄、桃華各御殿という呼び名があるということだった。
近衛家は大内裏にある門の一つ陽明門から始まる近衛大路を陽明大路とも呼んだので陽明御殿とも呼ばれていたとかいうことだった。
陳列室の真中には、国宝に指定されている藤原道長の御堂関白自筆日記なるものがガラスケース内に陳列されていた。
名和文庫長がガラス越しに見るのと直接見るのとでは違うからとご好意でガラス戸を開けてくださったので、その西暦1011年に墨で書かれた巻物の日記を本当に直に見る機会に恵まれた。
6月21日と22日の天皇が亡くなるときの記述の説明を受けたのだが、読めないのでただすごいと感心してるだけだったが何か心に残った気がする。
2時間ほどの案内のあとは、虎山荘と呼ばれる陽明文庫の見学の方をもてなすためとして設けられた数奇屋作りの家屋でMちゃん御用達の「はやし」からの仕出しで近衛文麿が密談もしたであろう空間を楽しんだ。
虎山荘にはいくつも部屋があり、家一軒ほどの値打ちがあるとかいう横山大観の掛け軸や後陽成天皇の歌二首の軸などがかかってあった。
何が書いてあるか分からないまでも、それなりに楽しい見学会でした。
家に帰って母に今日のことを話したが、そのとき思い出し母に確認したが、先日亡くなった伯母は二条家に奉公していたことがある。
全く無縁というわけではなかったようだ。
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