結跏趺坐
朝から雷を伴うどしゃ降り。
蒸し暑い中でした連日の草刈で、くたくたになっていた。
昨日などは、昼寝をしている間に来客があったようだが、知らずに寝ていたほどの体たらく。
玄関の上がり口に袋があり、その中に日本酒二本を見てそれが分かった。
玄関の脇の部屋で寝てたのに、そんなことだった。
その後、その銘柄をよくくれる友達に電話して確かめたが違うというし、あとはあの人からかと思っていたら、午後にその旨連絡があった。
病名が分かったときの安堵感のような感じ。
盗まれるようなお金は置いてないし留守にするのも心配したことないが、メモなしの贈り物には泥棒よりも悩まされる。
今日は神の配慮というように捉えて、ぽっかり空いた時間を坐禅に使った。
結跏趺坐で座るのだが、いつもどちらの足が上かと気になっていた。
先日、誕生日に坐禅をした後調べてみたら、どちらもあるらしい。
結跏趺坐(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より):
「趺(あし)」とは足の甲のこと、「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。したがって趺を結跏趺して坐(すわ)ることをいう。結跏趺坐は足を結んだ形をしているのが特徴である。片足を乗せる上下で吉祥坐・降魔坐と呼び、その意味も異なる
吉祥坐(きちじょうざ):左足を右腿の上に乗せ、右足を左腿上に乗せる方法。蓮華坐(れんげざ)ともいい、悟りを開いた者の坐法である。
降魔坐(ごうまざ):右足を左腿上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる方法。修行中の姿をあらわす坐法。
種々の坐法のうち、吉祥坐は最も理想的とされ、悪魔も退散させる働きがあると考えられている。
とある。
お釈迦様の像は吉祥坐だから、修行中のものは降魔坐でするという記事もあったが、先生がしているのを真似するのが大事だと思って、今までそういうことを知らず降魔坐でしてきたが、今回からは吉祥坐ということにした。
変な人間のへりくだったような考え方は無用だと思うんだがどうだろう。
人格を構成する良心ではなく潜在意識に繋がって判断すると先日書いたが、こういうことではないかと決めた。
ただ、吉祥坐にして座っても、先日のように足が痺れたのは一緒で、小一時間しかできなかったのも一緒でした。
違ったことは、今回は頭の芯も痺れました。
頭蓋骨がまた変形しそう。
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