舞鶴での再会

江龍武

2009年01月24日 17:37

22日から西舞鶴に住むFMさん宅へバンクーバーからの友人HMさんに会うため一泊で行ってきた。
FMさんもバンクーバーでの知り合いで、昨年Fさんが崖から落ちて骨折された時Hさんから治療の依頼と写真が送られてきた。
Fさんは以前私の店で働いてくれたMOちゃんとも知り合いでMちゃんが遊びに来たときも話題になっていたことがあり、依頼が来たとき改めて思い出した。
バンクーバー時代はそんなに親しい関係ではなかったがここに来て急速に親しくなりかけている。

HMさんは大阪から友達のSさんに車で送ってもらうことになっていた。
吹田から舞鶴までは高速で一時間半ほどで着くということだった。
地理的には滋賀県からの方が近いはずだが、こちらは京都市内を抜けるのと途中乗っても乗らなくてもそんなに変わらない高速道路があるだけなので京都から丹波まで高速を使ったのを除いてほかは国道で行ったので三時間ほどかかった。
神戸とか大阪から舞鶴へは道に恵まれていて物流的にも文化的にもそちらの影響を受けるだろうと初めて思ったというか知ったようなことだった。

Fさんはもともと熊本の方だが、お母さんの介護をしながら妹さんのTさんと田舎暮らしをしたいということで今のお家を手に入れ引越しされたということだった。
地図を見ながら殆ど一発で辿り着いたが、山陰線の横の細いリヤカー道を通ってお家のある数軒が肩を寄せ合ってるような場所に入っていく時は少し不安になったりするようなところだった。
後で聞くところによるとその道はもう直ぐ4メートル道路になるとかで今は下水の工事も始まっていた。

田舎暮らしで大変なのは集落というか在所の人との付き合いや集会参加、しきたり、仕事の分担、不便さが考えられるのでその辺のことを尋ねたら、新しい縁もゆかりもない住民がその47世帯の地域に住み着いたのは随分とないことなので皆さんに興味とともに大事にされ別に行事ごとで駆り出されたりはしないということだった。
野菜も一杯もらっているということだった。
其処から舞鶴市内までは車で15分ほどでいけるので不便でもない。
行った時は庭に少し雪が残っていただけで雪深いというところでもないらしい。

家の中に上がらしてもらってダイニングの方へ行ったら、真新しい薪ストーブが燃えていた。
引っ越してから取り付けてもらったということだった。
壁は紺青でおしゃれな空間。
クロスにそのまま自分達でペンキを塗ったということだったが、下地のクロスの模様が浮いてそれがまたよかった。
日本家屋に薪ストーブというのはダルマストーブしか昔はなかったので取り入れようもなかったのだろうがこれは暖かくてすばらしいと思った。
それにしてもやはりカナダ帰りの人のすることだと思った。

まもなく早く着きすぎて天橋立に遊びに行っていたHさんとSさんが現れた。
Sさんは少し休んでまた大阪に帰られた。
それからは、Fさんと妹さんが用意していてくれた海の幸をレストランのオーナーでその道のプロのHさんが刺身にしたり焼いたりの世話をしてくれ、またまたコレステロールが多いというのにしっかり食べて飲んでしまった。

Fさんには食事の準備ができるまでと翌日の朝氣を入れた。
これも今回出かけてきた理由でもある。

FさんとHさんがどうして知り合いなのか不思議だったが、バンクーバーではよく精神世界の会があり日本からも何人もの人が訪れ教えを垂れているのだが、そのような会であまりにもよく出会いそのうちに話すようになって知り合ったということだった。

今日の舞鶴は大雪のようなことを天気予報が言っている。
22、23日は日も差し暖かい穏やかな日だった。
無事に出会えるようになっていたようだ。
多分お導きでしょう、感謝です。


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