願い続け

江龍武

2009年01月27日 21:46

年末年始と体調も身辺にも問題が出て、妻の実家に新年になってから一度も行ってなかった。
今日はお義父さんの月命日でお坊さんが参ってくれるし、無理に言うなら七周忌に当たる日なので丁度お邪魔するにはよいと出かけた。
お義母さんにお会いしてお互い新年になってから初めての出会いということを確認してから本当に遅いが新年の挨拶をして、先ず用を済まさせてもらってからさあお坊さんを待とうと妻に数珠を持ってきたか確かめた。
その返事の代わりにお母さんの笑い声とともに答えが返ってきた。
なんたることか!
お坊さんはすでに来てお参りを終わって帰っていた。
まあ、いいか。
仏壇に線香をあげさせてもらい鉦を一つ叩いてその余韻が終わるまで手を合わせていた。

仏壇には願わない。

先ほど今回は会わなかったが今こっちに帰っている親友から電話があり、その話の中で一緒に仕事をしている仲間と東京に帰ったらどこかのお寺か神社にお願いに行くことになっているというので、「それは止めとけ」と強く止めた。
そして願うなら時間を決めて自分の心にでも空中にでも皆で願うのがよいと教えた。

私も年末からそうしている。
それ以来ずーっと願っているので額の凹んでいるところが熱をもっているようなじぃ~んとした感覚がいつもある。

そんな話をしたら親友が「こっちのはしてくれてへんのか?」と尋ねる。
面白いことに、ここ3、4日前から親友のことも願っていた。
「ついでにしてる」とつい言ったら、「わしのはついでか?!」と笑いながら突っ込まれた。
それでも、「それでか、まだ少しやけどなんかうまく動き出したように思える」と喜んでいた。
こちらの方も本当にゆっくりとではあるが、好転のきざしも伺える。

偶像崇拝でなかったら、

願う。
それは思いや夢を現実にすること。
感謝とともに忘れてはならないだろう。


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