誕生日は・・・

江龍武

2009年07月03日 23:15

昨日は私の57歳の誕生日。
妻が、何が食べたい?とか何が欲しい?とか尋ねてくれても別にこれといってない。
現実問題として暑いとき裸足で履くための草履がないのでそれを買うことにして二人で出かけた。
普段水を使うことも多いしできたら今年こそ投網にも行きたいのでビーチサンダルの丈夫なのが欲しいが、妻がいいと思って探しておいてくれたのは自然皮革のおしゃれなもので、私の生活では直ぐに使い物にならないとパスしてゴム草履なるものを探すことにした。
無印にその手のがあったというのでそちらに行くことにしたが、その前に食料品売り場へそれこそ何か私の食べたい物を探しに行くことにした。

妻が食べたがるのはいくらでもあるようだがと思いながらカートを押してたらバナナ売り場に台湾バナナを見つけた。
近頃バナナはスウィーティオというのを買っていたがそれは台湾バナナがなかったからで台湾バナナがあったら当然それを買うということで、見つけたという感じで手に入れた。
それからまたうろうろと歩いたら福井の鯖の丸焼きが目に留まった。
他には地元のスーパーでは何度買っても美味しくない鰹のたたきもここのならと試しに買った。

それからゴム草履を無印に見に行ったら、鼻緒の他に足の甲に当るように横にさらに一本ベルトが入ったようなのがあってこれなら鼻緒に力が加わっても抜けることはないだろうと納得したので直ぐに買うことにした。

好きな食べ物を買い、役に立ちそうなゴム草履を手に入れて、後はへべれけになるまで飲めたら幸せそのものの誕生日となったのだが、残念なことに次の日つまり今日の昼前に始まる知人NKさんのお父さんの告別式に車で高槻まで行くことにしていた。
そんなわけで二日酔いでは運転が辛いと思いビールを少々とお酒を口に含むだけという不完全燃焼の誕生日の食事となった。

そんなことで今日は9時半ごろ家を出て告別式にいったのだが、4月下旬ごろNKさんのお父さんが突然入院されることになったということを親友のHKから聞いていた。
それから暫くしてNKさんから氣を送ってもらえないかという電話があった。
自発呼吸がない状態ということだったがとにかくやってみますと引き受けた。
カナダでお出会いしたときの元気な方という印象を懐かしく思い出しながら、お父さん91歳、無理かな~と思いながら毎日送り続けた。
途中気管切開もされたものの5月末までは順調に回復されぼちぼちゼリーでも食べ始めてもらおうかと病院が考え出した矢先の6月1日突然また悪くなられた。
腎機能が低下し敗血症で尿も出ないしあと4,5日という診断が下された。
こちらも日に二度ほど氣を送っていたのを調子がいいからということなので一度にした矢先でそれが悪かったのかと気が沈んだ。
それでも今一度の蘇生を求めて送ってみるしかないと腎臓を狙う意識でやってみたら、それがよかったのか生命力が強かったのかとにかくまた尿が出始めて事なきを得た。

そして7月1日の朝早く呼吸停止状態になったというメールが届いた。

もう静かに逝かれるのがいいと今回は何もしないことにしたのだが、この治療を引き受けた始めから私はお父さんの存在にというかそれを支えているだろうと思われる目に見えない存在に対して、周りの超優秀な方達が目に見えない世界のことを信じてくださることを願って奇跡を見せていただけないかというような意識でやっていた。
NKさんのみならずお姉さん夫婦、弟さん夫婦も20年前ぐらいに交流があったのでこんな時しかお出会いできないという思いもあって告別式へ参列したのだが、久しぶりに懐かしくお出会いしてお話したとき、信じますとあちらから言っていただけ目的が果たせた思いで嬉しい限りだった。
これもひとえにお父さんが私の意を汲んで頑張ってくださったおかげと心よりご冥福をお祈りしたようなことだった。


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