Gさんの訃報

江龍武

2008年08月14日 23:40

昨日は商工会の研修旅行で朝の9時から出発し夜中の1時半に戻ってきた。
バスが出発してまもなく、7月12日のブログに書いたGさんが危篤状態になったというメールが娘さんのKさんから入った。
前日の12日に病院に伺っていたのだが、初めて直接氣をお入れするようになってから週二で訪ねていた。
12日までは声を出すと迷惑がかかるかもしれないと無言でしていたが、その日は何故か声をお聞かせしておかねばならないように感じ極力声を抑えてだが発声して氣を入れた。
廊下には娘さんのKさんがいてくれたので、声が気になる看護婦さんには説明していただき事なきを得たが、人によって大音響と感じる方もいたらしい。
昨日はバス旅行、今日は親友との用事があって来られないから15日にまた来ると言っては見たもののそこまで持つとは思ってなかったので、メールが届いた時はやはりそうかと思った。
娘さんには、銀の糸という単語を使ったり熱が出てるといったりその日が近いだろうということを暗示するように努めたが、だからと言ってその日がいつかを予想することはできなかった。
ただ、諦めることのないご家族の思いはそれでよいとして、私は魂を安らかにして差し上げる義務をおっていると思っていた。
それで、声をお聞かせしておいてよかったとまず思った。
Gさんの冥土へのはなむけのように感じた。
そんなことをメールに書いて返信したが、研修旅行もそんなわけで出だしから神妙な心持で始まった。
お盆だからだろう、高速道路はあちこちで渋滞があり最初の飛騨高山から行程は全てほぼ一時間遅れ。
視察も観光もあったもんではない。
超遅昼で飛騨高山では蕎麦屋で地ビールと茶碗酒なる濁り酒を二杯も飲んで出たら古い町並みはバスまで帰るついでに歩いただけ。
次の白川郷ではお土産を買っただけ。
メインの郡上おどりの前の宴席ではしっかり飲むこと叶わず。
郡上おどり見物は少し見たら強い夕立で雨宿りに時間の大半を費やし終わった。

高山で濁り酒を飲んでるとき、Gさんがお亡くなりになったという電話を娘さんからいただいた。
それ以降濁り酒を飲んで楽しんでいるとはいえ、なんとなくしんみりしていたので雨でよかったのかもしれない。
Gさんはご家族のご依頼だけで、写真治療を始めて最後はご本人の了解をいただいた治療ケース。
臓器の大半を切除され手術後執刀医が一ヶ月、ご親戚のお医者さんでさえ六ヶ月しかもたないということだったが、二年と八ヶ月ご存命された。
その間に二人の娘さんが結婚し、長女のKさんにはお孫さんもできた。

Gさんも私もお役ごめんということでよろしいですよね。
合掌


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