無力
零時30分に携帯にメールが届いたという音が鳴った。ビールの酔いも手伝ってほとんど眠りについていたが、Kちゃんに黙って気を送ってたもので何か反応でも伝えてきたのかと思い、よっこらさと起きて見た。
妹から友達の訃報の知らせだった。
治るものしか治らないの稿で治せなくってガックリしていることを書いたが、実は妹に頼まれここ4日毎日気を入れに病室を訪れていた。
こんなことを書くと気味悪がられるかもしれないが、最初病室を訪ねたときの治療中感じたのだが、死臭がした。
治療しているときは嗅覚も鋭くなる。それで容態の悪いときは死に直面されてるかの判断に嗅覚も動員する。
過去に子宮癌の方をカナダで治療させていただいたとき、始めてその臭いをかいだ。
その後お亡くなりになった何人もの方を治療した結果思うのだが、死臭というのは誰でも死ぬ前に出しているわけではないようだ。それは、私の考えでは赤血球が腐ってる臭いのように思っている。だから、病気の種類によるようだ。
次の日はその臭いはずいぶんと抑えられ、これなら行けるかと淡い期待を抱いたが、3日目からそれまで分からなかった病名が分かったということで治療が始まっていた。それがきつい治療のようでそんな負担に耐えられるだろうかと思ったが、こちらはとにかく少しでも楽になってもらうだけなのでまた4日目も気を入れに行った。帰り際、介護に付いておられる息子さんにお茶を差し上げてと気を使ってもらい話も少ししたのが最後になった。
その6時間後に急逝されたということだ。胸膜癌だった。
やはり癌は分からないか、癌は治せないかと心が重い。私は体をセンサーに使ってるので、本人でも癌というのは分からないから信号として来ないし分からないとは思うのだが、どうしたら分かるようになるのだろう。テレビに出るこの種の治療を行なう人で患部が見える人がいる。やはり視覚を使う能力を何とか手に入れないといけないようだ。しかしどうしたら手に入るのだろう。
訃報を知りがっくりもし、目が冴えてなかなか寝付けないのでとりあえず第三の目といわれる額に気を集中してそこを開発してみようと思い暫くそんなことをしていた。
そして、突然鼻に線香の香りが漂ってきた。枕元に線香が供えられたのだと思った。合掌。
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