伯母の誤嚥
昨日は病院回りとアスパラガスを採ることを除いては雨の一日をのんびり過ごせるはずだったが、昼食の終わりかけにお茶でも飲もうとした矢先に義姉から電話を受けた。
施設にいる伯母(母の姉)が食事が喉に詰まって救急車で運ばれるから家族の人にも行って欲しいと施設から連絡があったということで、とにかく私と母で行くことにした。
母が用意している間、とりあえず気を送ってはみた。
伯母は咳き込んでいるのだろう胸に違和感を感じたりしていた。
病院に着いたら救急車はまだ着いてなかった。到着まで5分かかるということだった。
父の入院している病院だったので勝手はよく知っている。
救急車が到着したら横手から処置室に入ってしまうから様子が分からなくなるので、外で救急車の到着を待つことにした。
母は、院内でばったり出会った親戚のおじさんと話していた。
外で待っていたら義姉もやってきた。
母が話してるのは義姉の親戚なのでその旨伝えたら、病院内に入って行ったがその直後に遠くからピーポーピーポーと聞こえてきた。
救急車がほどなく到着。ドアが開けられ担架で運ばれる伯母は酸素マスクをして背中を丸め咳き込んでいたのであれなら命に別状はないだろうと思い、それを母と義姉に告げるため急ぎ病院内に戻った。
「生きてはる、苦しそうやけど。」と簡単明瞭にまず伝えたが、それ以上のことは伝えようもないので処置が終わってからの先生の説明を待つしかない。
待ってたら施設の方が来られた。
それからまもなく、レントゲンを撮るため伯母が処置室から運び出されてきて、また部屋に戻されてから先生の説明があった。
とりあえず気道確保の管が挿入されている状態で暫く入院することになった。
先生は暫く寝ててもらいましょうと言っていたが、部屋に入ってから何故か意識が戻ってきて管が入ってるのが苦しいのか動き出したので、耳が遠いので妻や義姉が耳元に口を近づけ大声で何が起こってるのか説明するのだが、おとなしくしてもらうのは難しかった。
叔母と従姉妹が連絡を受けてやってきたので部屋が人で一杯になり、幾分か伯母も落ち着いたし父を見に行ってたら妻がノートとペンを取りに来て筆談すると言う。
後でまた行って見せてもらったが、読めたものではないが少しは分かるから、しないよりましだったが、意思の疎通というのは大事だと思った。
夜は母と叔母が泊まるというので妻と家に帰り、何が起こるか分からんからからこんな日はやっぱりアルコールは飲まんとこうと食事をしていたら義姉からまた電話があった。
「お母さんが電話してきて、伯母さんが死にかけてはる、と言うてはるんやけど・・・」
それだけ聞いて、「とりあえず気を送ってみるし」とプツンと電話を切った。
一刻を争う気がした。
気を送り出したら、バンクーバーのYさんのお父さんを最初診たときと同じ感覚を脳天に持った。
頭頂部が開くようなピリピリするような感じがある。
「やばいなあ~!とりあえずYさんのときと同じようにそこを蓋するしかないか」と気を送り続けその感じがこれなら許せると思うようになってから急いでまた病院に行った。
喉の管であまりにも苦しむので抜くことになり、それから声も出て元気に母とか叔母と話していたと言うことだったが、また痰がからんだらしい。
それからは、人工呼吸器が着けられた。
病室には連絡を受けて兄夫婦がいたが、それから入れ替わり立ち替わり、病院から連絡を受けた施設から二人、帰宅途中の従兄弟のK、Mの妻、従姉妹のA、妹と様子を見にくる中気を入れていた。
病室で本当に長いこと気を入れていた。
私なりに峠は越えたと思うときが来たが、どちらに向かうかは待つしかない。
今朝も見てきたが、心拍を拾う電子音と人工呼吸器のスーッパッ、スーッパッの音が病室に響いている。
意識を戻すのは3日ほどしてからだが、そこからどうなるのか今は誰も分からない。
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