2009年01月14日
光
目を閉じて神よ!と心に念じたら、眉間にちりちりとした感じと熱感が生じ、まばゆいばかりの光でいっぱいになった。
私はお腹の痛みを感じながらも感謝の気持ちでいっぱいになった。
その15分前ぐらいに親友から電話があった。
昨年の夏以来の問題が解決しそうな内容の電話だった。
揚げ物に使う油をセーブできるという器具を私が従兄弟を通して紹介したのだが、モニターとしての実験もされずそのうちそのお試し用の器具がなくなったということが分かり、その解決法が気にかかっていた。
やっと解決しそうで電話してきたうれしそうな親友の声を聞き、その結果を従兄弟に報告してから少ししたらお腹が痛くなった。
トイレに行ったが、久しぶりに脂汗が出るかと思うほど痛くなり、父のために取り付けた便座の前の手すりを持って、神よ!と念じるような状態に陥った。
トイレで出すものなんてない時間帯でまず出るのもおかしいし別に下痢というわけでもなかった。
そんなわけで悪いものが身体から出たという感じが強かった。
力を入れたから光が目の奥で生じたのかと、痛みが治まってから気張ってみたが今度は暗闇しか感じなかった。
それで、さらに神の御心を感じたといえる。
近頃は治療をして下痢をするということは殆どないが昔はよくそういう状態になった。
今回も多分その類だと思った。
親友の話の展開において生じたいわゆる悪というものが浄化されたと考えたい。
それにしても、こんなことは久しぶりだった。
眉間の感触と光も初めてのことだった。
親友の問題のみならず昨年来の治療の垢がこれで全て浄化してくれてたらと祈っている。
よぉ~し!今年も頑張ろう!
光とともに歩もう。
(お腹の痛いのは嫌だけど・・・)
私はお腹の痛みを感じながらも感謝の気持ちでいっぱいになった。
その15分前ぐらいに親友から電話があった。
昨年の夏以来の問題が解決しそうな内容の電話だった。
揚げ物に使う油をセーブできるという器具を私が従兄弟を通して紹介したのだが、モニターとしての実験もされずそのうちそのお試し用の器具がなくなったということが分かり、その解決法が気にかかっていた。
やっと解決しそうで電話してきたうれしそうな親友の声を聞き、その結果を従兄弟に報告してから少ししたらお腹が痛くなった。
トイレに行ったが、久しぶりに脂汗が出るかと思うほど痛くなり、父のために取り付けた便座の前の手すりを持って、神よ!と念じるような状態に陥った。
トイレで出すものなんてない時間帯でまず出るのもおかしいし別に下痢というわけでもなかった。
そんなわけで悪いものが身体から出たという感じが強かった。
力を入れたから光が目の奥で生じたのかと、痛みが治まってから気張ってみたが今度は暗闇しか感じなかった。
それで、さらに神の御心を感じたといえる。
近頃は治療をして下痢をするということは殆どないが昔はよくそういう状態になった。
今回も多分その類だと思った。
親友の話の展開において生じたいわゆる悪というものが浄化されたと考えたい。
それにしても、こんなことは久しぶりだった。
眉間の感触と光も初めてのことだった。
親友の問題のみならず昨年来の治療の垢がこれで全て浄化してくれてたらと祈っている。
よぉ~し!今年も頑張ろう!
光とともに歩もう。
(お腹の痛いのは嫌だけど・・・)
2008年11月12日
夢の話
また今日も昨日の話。
午後から8月に他界されたGさんの奥さんNさんと娘さんKさんがお礼に来られた。
最初Mさんが私の恩人だからと頼んでこられたので、Gさんご本人には了解を得ないで写真で始めた。
多分今ならいくらMさんでも断ったかもしれないが、当時はまだ霊律とかという言葉も知らず、自分でなんとなくそれは良くないと思っていただけなので、確たる一線が引けてなかった。
写真治療は途中頻度は多くなったり少なくなったりしたが、二年近くもやっていた。
亡くなられる一ヶ月ほど前に、やはり直接の方がよいとそれとなく気づいていただけるように話していたら、Kさんがお父さんに受けてみないかと尋ねられた。
周りの気遣いはなんだったというぐらい、受けてもよいと簡単に答えが返ってきたらしい。
それから、病院に週二でお伺いしていたのだが、奥さんによるとGさんは私の来るのを待っていてくださったということだった。
これは、結果はともかく私としては肉体はともかく魂を助けたという意味で最高の治療をしたことになる。
妻を交えた4人の会話で話題になったのは、Gさんが夢で出てこられるということだった。
ちょっとトラブルを起こされたおじいさんもはっきりとは言われないそうだが、Gさんが出てきて諌められたということだ。
他にもいろいろ。
奥さんと娘さんは、お葬式後の法事事でGさんのことより町内の人への連絡などそちらに気を使い、お仏壇の火をおじいさんが消すのを気に留めてなかったら、Gさんが暗い暗いと言ってる夢をみたそうだ。
これは何を意味するのでしょう?
Gさんを二の次にした周りの人間関係への心配りよりGさんの存在に心を振り向ける方が大事ということを教えたかったのじゃないでしょうか?
私達からは、昨年他界されたバンクーバーで私達をかわいがってくださったKNさんの奥さんHさんから先日いただいた手紙に書いてあった話をご披露した。
不思議なお話です。
Hさんは歳の離れたKNさんのことを心底大事にされていたのにもかかわらず、夢に出てくるということのない日々を先日まで送っておられた。
先日ついにKNさんが夢に現れ、「H」と呼びかけ、「あの3万ドルどうした」と言われたとか。
3万ドルって何のことやろう?と思っていたら、その夢を見た日に、保険会社から3万ドルの小切手が送られてきたということだった。
これは予知と考えるべきでしょうか?
それとも、やはりKNさんの魂が、存在しているということを証明するために連絡してきたのでしょうか?
私は、氣で治療というような一般的な方から見たら不思議なようなことをしていますが、霊的なことは一般の方とほとんど同じほどに分かりません。
ただ、遠隔という治療からの経験で人間は肉体だけの存在ではないと思わざるをえないということから類推してます。
そして、魂としての存在があるなら魂を磨くために生きる必要があり、それは結果として人間として磨かれるように思います。
そんな魂のことを話してたら、そんな話からかけ離れた今時のお坊さんの下衆な話になった。
仏事に際してのお坊さんとのお金の話をされたので、私も母方の実家のお寺のことを思い出し他のお寺もそうなんだと思い知った。
知恩院の集金システムがもたらした僧侶の拝金ぶりはあまねく蔓延しているようです。
釈迦も泣いてることでしょう。
まあ、進んでお寺に寄進することのない仏教徒も悪いのかもしれませんが・・・
政界だけでなく、仏教界も改革がいる時代なのかもしれませんね。
午後から8月に他界されたGさんの奥さんNさんと娘さんKさんがお礼に来られた。
最初Mさんが私の恩人だからと頼んでこられたので、Gさんご本人には了解を得ないで写真で始めた。
多分今ならいくらMさんでも断ったかもしれないが、当時はまだ霊律とかという言葉も知らず、自分でなんとなくそれは良くないと思っていただけなので、確たる一線が引けてなかった。
写真治療は途中頻度は多くなったり少なくなったりしたが、二年近くもやっていた。
亡くなられる一ヶ月ほど前に、やはり直接の方がよいとそれとなく気づいていただけるように話していたら、Kさんがお父さんに受けてみないかと尋ねられた。
周りの気遣いはなんだったというぐらい、受けてもよいと簡単に答えが返ってきたらしい。
それから、病院に週二でお伺いしていたのだが、奥さんによるとGさんは私の来るのを待っていてくださったということだった。
これは、結果はともかく私としては肉体はともかく魂を助けたという意味で最高の治療をしたことになる。
妻を交えた4人の会話で話題になったのは、Gさんが夢で出てこられるということだった。
ちょっとトラブルを起こされたおじいさんもはっきりとは言われないそうだが、Gさんが出てきて諌められたということだ。
他にもいろいろ。
奥さんと娘さんは、お葬式後の法事事でGさんのことより町内の人への連絡などそちらに気を使い、お仏壇の火をおじいさんが消すのを気に留めてなかったら、Gさんが暗い暗いと言ってる夢をみたそうだ。
これは何を意味するのでしょう?
Gさんを二の次にした周りの人間関係への心配りよりGさんの存在に心を振り向ける方が大事ということを教えたかったのじゃないでしょうか?
私達からは、昨年他界されたバンクーバーで私達をかわいがってくださったKNさんの奥さんHさんから先日いただいた手紙に書いてあった話をご披露した。
不思議なお話です。
Hさんは歳の離れたKNさんのことを心底大事にされていたのにもかかわらず、夢に出てくるということのない日々を先日まで送っておられた。
先日ついにKNさんが夢に現れ、「H」と呼びかけ、「あの3万ドルどうした」と言われたとか。
3万ドルって何のことやろう?と思っていたら、その夢を見た日に、保険会社から3万ドルの小切手が送られてきたということだった。
これは予知と考えるべきでしょうか?
それとも、やはりKNさんの魂が、存在しているということを証明するために連絡してきたのでしょうか?
私は、氣で治療というような一般的な方から見たら不思議なようなことをしていますが、霊的なことは一般の方とほとんど同じほどに分かりません。
ただ、遠隔という治療からの経験で人間は肉体だけの存在ではないと思わざるをえないということから類推してます。
そして、魂としての存在があるなら魂を磨くために生きる必要があり、それは結果として人間として磨かれるように思います。
そんな魂のことを話してたら、そんな話からかけ離れた今時のお坊さんの下衆な話になった。
仏事に際してのお坊さんとのお金の話をされたので、私も母方の実家のお寺のことを思い出し他のお寺もそうなんだと思い知った。
知恩院の集金システムがもたらした僧侶の拝金ぶりはあまねく蔓延しているようです。
釈迦も泣いてることでしょう。
まあ、進んでお寺に寄進することのない仏教徒も悪いのかもしれませんが・・・
政界だけでなく、仏教界も改革がいる時代なのかもしれませんね。
タグ :夢
2008年09月27日
ご縁
昨晩ブログをアップしたが、夕方から飲み会に誘われて帰宅してからのことだったのでコンピューターに向かって眠っていたらしい。
ふっと気がついた11時を過ぎていた。
それにしては、意外に旨く書いてあると感心している(^^)
昨晩は兄と同年か一つ上の人との飲み会だった。
何故か近頃私が呼ばれている。
同級生とはまた違った話があっておもしろい。
今日は投網の師匠だったMKさんの満中陰に呼ばれていた。
お仏壇前での読経、お墓に行って納骨それから食事となったが、食事のときおじゅっさんの前に座ったので色々お話させてもらった。
MKさんの弟YKさんは霊感のある方だし、お坊さんがいるという状況だから当然不可思議な話になるのは自然なことだった。
憶えているのはYKさんが話してくれたことだが、坂本に尼さんのお墓、尼墓(あまばか)と地元の人が呼ぶらしいところがあるらしいが、鏡餅のように丸い石が三段に重ねられてるという。そして、地震なんかで崩れてもそれには触ってはいけないとかで丸い石がごろごろと落ちたままになってるということなんか初めて聞いた話だった。
石山寺ではある場所で龍が見えたとかでそれを社務所の人に言ったら「見はりましたか」ということだったとか、ある場所で武将に身体に乗り移られて熱湯に入らされて追い出してもらったとか、YKさんの話は私のようなその手のことに鈍感なものには不思議そのものでそんなことをいっぺんぐらい体験してみたいと思ったりしながら聞いていた。
そんな話だけでなく人間の潜在意識は繋がってるということの例で私のバンクーバー時代の商売上での話をしたら、おじゅっさんが私もカナダにいましたと言われる。
バンクーバーの仏教会ではなかったが、回教師としてアルバータの南部レスブリッジにおられてトロント大学にも在籍されてたとかだった。
84年から90年、私が土産物屋としても滋賀県人会の一員としても頑張ってた時期におられたようだが、お耳に入っていたようだった。
これまたご縁を感じたことだった。
私より6歳お若いし今後のご活躍を期待している。
また遊びに焼酎でも持って寄せてもらいますと言ったら、ぜひ・・・に続いてワインでも・・・という返答だった。
やっぱりカナダ帰りだと思った。
ということで、今日も昼から沢山飲んだ。
当然夕食でも勢いで飲んだ(アホ)
ふっと気がついた11時を過ぎていた。
それにしては、意外に旨く書いてあると感心している(^^)
昨晩は兄と同年か一つ上の人との飲み会だった。
何故か近頃私が呼ばれている。
同級生とはまた違った話があっておもしろい。
今日は投網の師匠だったMKさんの満中陰に呼ばれていた。
お仏壇前での読経、お墓に行って納骨それから食事となったが、食事のときおじゅっさんの前に座ったので色々お話させてもらった。
MKさんの弟YKさんは霊感のある方だし、お坊さんがいるという状況だから当然不可思議な話になるのは自然なことだった。
憶えているのはYKさんが話してくれたことだが、坂本に尼さんのお墓、尼墓(あまばか)と地元の人が呼ぶらしいところがあるらしいが、鏡餅のように丸い石が三段に重ねられてるという。そして、地震なんかで崩れてもそれには触ってはいけないとかで丸い石がごろごろと落ちたままになってるということなんか初めて聞いた話だった。
石山寺ではある場所で龍が見えたとかでそれを社務所の人に言ったら「見はりましたか」ということだったとか、ある場所で武将に身体に乗り移られて熱湯に入らされて追い出してもらったとか、YKさんの話は私のようなその手のことに鈍感なものには不思議そのものでそんなことをいっぺんぐらい体験してみたいと思ったりしながら聞いていた。
そんな話だけでなく人間の潜在意識は繋がってるということの例で私のバンクーバー時代の商売上での話をしたら、おじゅっさんが私もカナダにいましたと言われる。
バンクーバーの仏教会ではなかったが、回教師としてアルバータの南部レスブリッジにおられてトロント大学にも在籍されてたとかだった。
84年から90年、私が土産物屋としても滋賀県人会の一員としても頑張ってた時期におられたようだが、お耳に入っていたようだった。
これまたご縁を感じたことだった。
私より6歳お若いし今後のご活躍を期待している。
また遊びに焼酎でも持って寄せてもらいますと言ったら、ぜひ・・・に続いてワインでも・・・という返答だった。
やっぱりカナダ帰りだと思った。
ということで、今日も昼から沢山飲んだ。
当然夕食でも勢いで飲んだ(アホ)
2008年08月27日
知らせ
9時にバンクーバーのFさんの電話を待っていたら、3分過ぎぐらいに鳴ったのでFさんだとばかりにでたらSKさんからだった。
SKさんもバンクーバーからでこういうこともあるんだと思った。
光電話にしてからキャッチサービスを使えるようにしたのだが、それから一分もしない内に他からの電話をキャッチした。
いつもなら無視するところだがFさんに違いないと思いSKさんにお断りして切り替え、やはりそうだったので30分遅らせてもらった。
SKさんはコーヒーエネマのことで尋ねてこられたのだが、近頃痩せてどうしたものかと思っているという相談だった。
痩せにくい体質の私にとっては羨ましい話だが、ご本人にとっては心配の種らしい。
バンクーバーでは出来合いのそれようの缶コーヒーを手に入れるのは難しいのでオーガニックのコーヒーを使った自前の液体を使用されてるのだが、以前私がEM-Xが手に入ると思うので、日本のにはそれが入ってるから入れたらどうかとお店を紹介したことがあった。
それで手に入れられたのは今回よく尋ねてみるとEM1ということだったので、それはEM-Xとは違うから問題はないと思うけど使うのは控えたらどうかと提案した。
「EM1を飲んでるので私は今もこうして生きている」というようなことを紹介したお店を切り盛りしているHSさんのご主人が言ったということだったが、口から飲むのと肛門から直接入れるのとでは条件が違う。
EM1は確か有用細菌を培養した液体の筈で菌は休眠している状態のものだと思う。
飲むときは強酸状態の胃を通過して腸まで有用細菌が到達することは難しいが、エネマのように直接菌を入れるときはもう少し注意が要るのではないかと思った。
問題が出るとは思わないしそれでやせる方法もあるのかとも思ったが、とりあえずこういう場合は中止して様子を見るのが無難というもの。
それにしてもどんどん瘠せると言われるのでちょっと心配になり氣を送らせてもらった。
腸の動きがかなり悪そうなので、これはもう一度来週試してみましょうということにした。
頼まれないので今までしなかったが、中には意味もなく頼むのは悪いと思われる方がいるようで、やはりたまには「しましょうか?」とお声をかけるのも大事だと思った次第。
SKさんの電話を終わりFさんからの電話を受けてそれもこなして農作業。
外出から帰った妻と昼食時、午前中の電話のことからHSさんのご主人のことを思い出して話したりしていた。
午後になったらまたもバンクーバーのYさんから電話があった。
どういう日かと思いました。
妻が最初に受けたのだが、びっくりぎょうてんの声を出している。
SKさんによると「これを飲んで生きている」と言った、その話から先ほど妻と思い出話をしたHSさんのご主人が亡くなったという知らせだった。
HSさんのご主人は糖尿病による長い合併症との戦いで何度も危ない時があったし亡くなられたということに関してはそんなに驚かないが、さっきまで思い出話をしていたその偶然(?)に驚いた。
奥さんのHSさんとは商売の有機野菜を買わせてもらうようになって話するようになり、その商売のために納豆を作ったりしたので親しくなり、ご主人とも仲良くさせてもらっていた。
ご主人と私は同時代にみやげ物屋の経営者でお顔を存じ上げてたが、その当時は同業者同士で嫌ってるわけではないが仲良く話すと言うこともなかった。
お互いその道から離れて私が奥さんと納豆で頻繁に会うようになってからは時々お話したが、おだやかなジェントルマンで家で透析をされてるような状態なのに前向きに頑張ってる人でした。
仕方がないことですが、良い人過ぎたのかとその早い死を悼んでいます。
今日は私のところへもそれとなく訪ねてくださったのかもと思ったりしています。
合掌
SKさんもバンクーバーからでこういうこともあるんだと思った。
光電話にしてからキャッチサービスを使えるようにしたのだが、それから一分もしない内に他からの電話をキャッチした。
いつもなら無視するところだがFさんに違いないと思いSKさんにお断りして切り替え、やはりそうだったので30分遅らせてもらった。
SKさんはコーヒーエネマのことで尋ねてこられたのだが、近頃痩せてどうしたものかと思っているという相談だった。
痩せにくい体質の私にとっては羨ましい話だが、ご本人にとっては心配の種らしい。
バンクーバーでは出来合いのそれようの缶コーヒーを手に入れるのは難しいのでオーガニックのコーヒーを使った自前の液体を使用されてるのだが、以前私がEM-Xが手に入ると思うので、日本のにはそれが入ってるから入れたらどうかとお店を紹介したことがあった。
それで手に入れられたのは今回よく尋ねてみるとEM1ということだったので、それはEM-Xとは違うから問題はないと思うけど使うのは控えたらどうかと提案した。
「EM1を飲んでるので私は今もこうして生きている」というようなことを紹介したお店を切り盛りしているHSさんのご主人が言ったということだったが、口から飲むのと肛門から直接入れるのとでは条件が違う。
EM1は確か有用細菌を培養した液体の筈で菌は休眠している状態のものだと思う。
飲むときは強酸状態の胃を通過して腸まで有用細菌が到達することは難しいが、エネマのように直接菌を入れるときはもう少し注意が要るのではないかと思った。
問題が出るとは思わないしそれでやせる方法もあるのかとも思ったが、とりあえずこういう場合は中止して様子を見るのが無難というもの。
それにしてもどんどん瘠せると言われるのでちょっと心配になり氣を送らせてもらった。
腸の動きがかなり悪そうなので、これはもう一度来週試してみましょうということにした。
頼まれないので今までしなかったが、中には意味もなく頼むのは悪いと思われる方がいるようで、やはりたまには「しましょうか?」とお声をかけるのも大事だと思った次第。
SKさんの電話を終わりFさんからの電話を受けてそれもこなして農作業。
外出から帰った妻と昼食時、午前中の電話のことからHSさんのご主人のことを思い出して話したりしていた。
午後になったらまたもバンクーバーのYさんから電話があった。
どういう日かと思いました。
妻が最初に受けたのだが、びっくりぎょうてんの声を出している。
SKさんによると「これを飲んで生きている」と言った、その話から先ほど妻と思い出話をしたHSさんのご主人が亡くなったという知らせだった。
HSさんのご主人は糖尿病による長い合併症との戦いで何度も危ない時があったし亡くなられたということに関してはそんなに驚かないが、さっきまで思い出話をしていたその偶然(?)に驚いた。
奥さんのHSさんとは商売の有機野菜を買わせてもらうようになって話するようになり、その商売のために納豆を作ったりしたので親しくなり、ご主人とも仲良くさせてもらっていた。
ご主人と私は同時代にみやげ物屋の経営者でお顔を存じ上げてたが、その当時は同業者同士で嫌ってるわけではないが仲良く話すと言うこともなかった。
お互いその道から離れて私が奥さんと納豆で頻繁に会うようになってからは時々お話したが、おだやかなジェントルマンで家で透析をされてるような状態なのに前向きに頑張ってる人でした。
仕方がないことですが、良い人過ぎたのかとその早い死を悼んでいます。
今日は私のところへもそれとなく訪ねてくださったのかもと思ったりしています。
合掌
2008年07月07日
禅タロット
電話を待ってる間、暇なのでブログを色々見ていたら、マイミクの叶子さんのブログで禅タロットというのを見つけた。
先日はオーラソーマで自分を見たように思ったが、また違う角度から見てみたくなり早速試してみた。
「消耗」というカードが出た。
自分が決めたことを一生懸命に守ろうとする余り他にエネルギーを振り向けることができないというようなことが書いてあり、堅いという表現が随所に出た。
先日九州でナベさんに私のことを尋ねたら、芯が堅いという言葉を口にした。
どうもその私であろうとする芯というものを柔らかくせよと、どの占いを引いても出てくる気がする。
私の潜在意識が私に必死で訴えてきているのに違いない、と思うようになってきている。
軟弱ではなく、柔らかくしなやかに、人格を構成する良心ではなく潜在意識に繋がって全ての判断をできるようにならないといけない。
なんて分かったようなこと書いてますが、禅タロットの色んなのを試してる間にそんな言葉や文を憶え自分用に作ってみました。
こういう占いをしていつも思うのですが、誰にでも当てはまるような表現でなるほどと思わすようなことが上手に書かれています。
でも、その誰にでも当てはまるというのがもしかすると人間存在に関わるものではないかと思い至るようになりました。
同じ言葉を読んでもそれから理解するところは個々によって違うはずですし、日を置いてやってみて同じ言葉が出てきたとしても心は成長か退化してるので感じるところは違うから、個々においてもその時々においても心に思い至ることがあるのでしょう。
お暇ならこちらで試してみてください。
引くときは、何を知りたいか心に目的意識を持って引いたほうが良いと思います。
「消耗」のカードを引いたときは、そのことに考え至らずただ引いてしまいました。
でも、私を知りたいという意識はあったんだと思ってます。
先日はオーラソーマで自分を見たように思ったが、また違う角度から見てみたくなり早速試してみた。
「消耗」というカードが出た。
自分が決めたことを一生懸命に守ろうとする余り他にエネルギーを振り向けることができないというようなことが書いてあり、堅いという表現が随所に出た。
先日九州でナベさんに私のことを尋ねたら、芯が堅いという言葉を口にした。
どうもその私であろうとする芯というものを柔らかくせよと、どの占いを引いても出てくる気がする。
私の潜在意識が私に必死で訴えてきているのに違いない、と思うようになってきている。
軟弱ではなく、柔らかくしなやかに、人格を構成する良心ではなく潜在意識に繋がって全ての判断をできるようにならないといけない。
なんて分かったようなこと書いてますが、禅タロットの色んなのを試してる間にそんな言葉や文を憶え自分用に作ってみました。
こういう占いをしていつも思うのですが、誰にでも当てはまるような表現でなるほどと思わすようなことが上手に書かれています。
でも、その誰にでも当てはまるというのがもしかすると人間存在に関わるものではないかと思い至るようになりました。
同じ言葉を読んでもそれから理解するところは個々によって違うはずですし、日を置いてやってみて同じ言葉が出てきたとしても心は成長か退化してるので感じるところは違うから、個々においてもその時々においても心に思い至ることがあるのでしょう。
お暇ならこちらで試してみてください。
引くときは、何を知りたいか心に目的意識を持って引いたほうが良いと思います。
「消耗」のカードを引いたときは、そのことに考え至らずただ引いてしまいました。
でも、私を知りたいという意識はあったんだと思ってます。