2012年03月13日

記録

1月3日中学時代のクラス会にロイヤルオークへ出かけていて、2次会はそこでし、草津まで移動して3次会のカラオケ店の部屋があくまでの間、駅前の喫茶店にいた。そこからカラオケ店まで歩いて向かう途中で友達の携帯に妻と兄から電話が入った。
あれっと思って私の携帯を見たらやっぱりで、呼び出しがあったが分からなかったらしい。
妻と兄からということだから内容はあまりいい話ではないと察せられた。
すぐに妻にかけたが話し中で、兄にかけて父が危篤状態になったのが分かった。
様子を訊いたら今は落ち着いてるということだったので、カラオケ店も近かったしそこに落ち着いてから氣を送ってみて帰るかどうか判断することにした。
掘りごたつ式の部屋だったので机の下で密かに送ってみた結果どうも脳梗塞か脳溢血が起こったように思われた。
とりあえずその状態だけは緩和するほど氣をこれまた密かに送っておいて3次会を楽しむことにした。
その後数人は4次会に行ったが、武っちゃんはもう帰りと言われたのと私も父がやはり気がかりなので帰宅する友達のお迎えの車に乗せてもらい家に戻り、すぐに妻に病院まで連れて行ってもらった。
妻によると血糖値が測れないほど上がっているそうで血圧も低くカタボンという昇圧剤を使ってもらってるという状態だった。
今度はもう助からないような気がしたのでカラオケ店から送った以上に氣を送るのは控えることにした。
その晩は母が病院に泊まったが、次の日からは81歳の母には負担がかかりすぎるので一番時間がどうにでもなる私が泊まることにした。
私の若いころから父がお腹が痛くなると私も痛くなるということがあったので、父と私の振動数はよく似ているのだろうと氣の治療をするようになってから思っていたのだが、そんなことだから私が泊まるということは別に氣を改まって送らなくても流れることにもなるだろうしという算段もあった。
父は1月8日が誕生日だったのでそれだけは迎えられたらいいのになあと思いながら日々を過ごしていた。
1月15日午後家で仮眠をとっていたら病院にいる義姉から電話があり、父の様子がおかしいので今先生がカタボンの投与量を増やしたりされてるが家族の者を呼んだ方がいいとおっしゃってるからということで、ばたばたと病院に駆け付けた。
それも父は何とか切り抜け今に至っているのだが、その時以来昇圧剤のカタボンは父の体重ではもうそれ以上増やせない量になっている。
血糖値はインシュリンは投与しているものの今はコントロールできるようにはなっている。
最初は誕生日までもったらと思っていたのが、15日以降2月を迎えられるだろうかと言いながら過ごしていたら、2月になり今度は妹の二男の披露宴の2月11日が近付いてきた。
父の容体はずーっと低空飛行でただ安定しているか安定していないかだけの日々が続いていたので、何が起こってもおかしくなかった。
披露宴とお葬式が重なったらどうしよう、年末年始はお葬式を遅らすことがあるからそうしたらどうだろうとか言いながらの日々だったが、今回も父は迷惑をかけなかった。
妹は披露宴が終わった翌日に病院に来て、お父ちゃんもう頑張らんでもええよとか言ったらしい。
それにしても次から次と社会生活を順調に送る上では周りの都合で生きててほしいと思うことがあるらしい。
今度は兄が月末に銀行との書類の更新があるから亡くなるといろいろ面倒なので生きててほしいという願いを持ってることを妻から聞いた。
なるほどそれはそうだと私も思って、2月14日だったか、それまでは息が荒くなったり熱が上がりすぎたりするとその症状を抑える程度の氣を入れていたのをちょっと方向転換することにした。
今までの経験から魂が離れそうになっていると脳天が開くというような表現をしているけど、ムズムズというかピリピリと痺れるような感覚をもつのだが、父にもそんな感じがその日はあった。
これも経験でその開きかけているのに蓋をするという感覚で抑え込んだのだが、それからふつうは2週間は持つのが経験則となっている。
14日だったから経験則通りなら2月28日まではもつということで例年ならそれで計算通りとなるのだが、今年は閏年で29日まである。
27日に書類は銀行に提出されたが、29日に病院に泊まっていて3月1日になるまではプレッシャーで押しつぶされる思いだった。
閏年をこんなに存在感を持ってとらえたのはこれが最初で最後に思われる。
そんなことで3月1日を迎えたときから暫くはホッとしたのかアラームが鳴っていても反応が鈍い自分がいるのがわかるほどだった。
今日は3月13日。
途中お医者さんに妙に安定してますけど今後どういう展開になりますかと尋ねたりして、分かりませんという答えをもらって今日に至っているのだが、本当にいつどうなるのか誰も分からない状態で日々を過ごしている。
3月19,20日と中学時代の友人12,3人で還暦記念にお伊勢さんに参る予定になっている。
父の闘病の姿を見ているとかわいそうで、私が泊まってるのが大事と思い、ほとんどの日相変わらず病院泊をしているけど、このために氣を入れることはしないでいる。

話変わって、このごろ思うことは政治への不信でしかない。
がれき処理を法律で地方にさせようとしていることなどもってのほかで民主主義はどこへ行ったのかと思うしかない。
放射能の問題もあるし、搬入のコストも現地に焼却炉を作って処理する方が何かと合理的なはずだと私は素人ながら思っている。
私の伯父は広島の被爆者で従兄弟は耳が聞こえないで生まれてきた。その妹は大丈夫だったが、妹の子供に耳の聞こえない子が二人もできた。
放射能物質はできるだけちらばらさないのが賢明だと思うのはおかしいのだろうか。
バケツにインクを落として水をみんな汚すよりインクはインクで置いておいて水はきれいなままで保ちたいと思うことが優しくない考えなんだろうか。
日本国土全体を汚す可能性を推進する考え方が私には分からない。

参考までにほんまでっかTVの武田先生のホームページです。
http://takedanet.com/2012/03/post_6946.html
それから先日天皇陛下が東日本大震災追悼式に出席された時のお顔が苦痛に歪んでいるように思えたので、術後まもなくでもありしんどいのだろうかと思っていたら、どうも追悼式でのお言葉の文面に政府か官僚かが制限をかけていたのではないかと思われる節があるようで、それに抵抗された決断のお覚悟が現れた表情だったと捉えた方がよいようだ。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/03/nhk_598c.html
多くの政治家やマスコミ達の言動をみると、道徳、倫理、優しさ、感謝なんて言葉がむなしく響く。


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Posted by江龍武at15:59 Comments(0) 生活
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