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Posted by滋賀咲くブログat

2008年01月10日

秘訣あれこれ

京都で、仕事でお世話になっている社長と昼食することになってたので、秘書というか書類持ちをしてくれる妻と十時に車で家を出た。
昼食は、今出川寺町下がったところにある、親友の後輩がやっている、以前にも書いたリンデンバームに行くことになっていた。
妻と一緒に出かけたのは、妻の好きなそこに連れていくのも一つの理由である。やはり、仲良くするには同じ釜の飯を食べないといけない。何かに書いていたが、そうすると呼吸が一緒になるから気がかようとかいうことだ。近頃、家庭崩壊が取りざたされるが、一緒に食べることをおろそかにしていることも原因しているのかもしれない。
オーナーのHさんに、前々から大根ができたら持ってくると言ってたので、朝から畑に行って大きなところを3本引いて洗って用意した。それと美味しくできたヤマモモ酒も飲んでもらうことにした。
大きな仕事をしている社長には、恐れ多いことながら、厚かましくも毎回頼んでいる書類作りを気持ちよく引き受けてくださるので、昼食は一緒にするものの何か持参しようと、イチゴ大福を持っていくことにして、出発してからまずそれを買いに行った。
会社に着いてからお昼まで社長と話をしていた。
暫く行かない間に会社は模様替えがされていた。
社長にお世話になりだした当初から親しくしている中国人で社員のエンさんが言うには、近頃社長が付き合う人に偉い人が多くなり今までのごちゃごちゃした事務所では格好が悪いと、年末に社長が模様替えを頼んだということだった。
そんなことで話題はその話になったのだが、日本の大きな会社もそうですけど~、近頃中国に仕事で行っていると向こうの社長はそら~贅沢なもんで、わしの会社にも寄せてもらうと言うよるんで来たら格好悪いと思いましてな~、ということで模様替えとなったらしい。
実際カナダでも、私が関係したところなんか知れたものだが、会計士でも弁護士でも、小奇麗にしつらえた入口の部屋に明るい愛想のよい女性の受付嬢が居て応対をしてくれることから始まった。
そして、お目当ての相手が出てきて各自の部屋に連れて行ってくれるのだが、其処は眼下にダウンタウンを一望できるような部屋になっている。
それで、長らく頼んでいた会計士の場合、出世して儲けているということが分かるというものだった。
卵が先か、鶏が先かという話のようだが、テレビドラマでは金持ちの家庭はあまり物を置かずにすっきりとした背景にし、窮乏している家庭のシーンはごちゃごちゃと物を置くのが決まりらしい。だから、逆もありえると思っている。すっきりとしたところで生活していると、金持ちとまでは行かないまでも苦労しないとか、すっきりとした事務所だと商売は上手く行くとかあるかもしれない。
そんな考えもあって、カナダで友達の会社の経営コンサルタントのようなことを頼まれた時、まずそれから直した。自分の生活にもそれを心がけている。
ということで、社長はますます金持ちになる気がする。
しみったれた話の多い田舎から出て、久しぶりに景気のよい社長の話を聞いて何か元気をもらった気がした。
社長と別れた後、妻と四条通を歩いたが、京都の町は活気にあふれているように映った。
  


Posted by江龍武at 20:17 Comments(0) 思いつき

2007年11月02日

ボツリヌス菌の毒?

知人が眼瞼下垂にボツリヌス菌の毒を注射してもらったが、それを聞いておかしいんじゃないかと思っている。
これ(ボトックス)を知ったのはカナダで見たテレビ番組が最初だった。
眉間に縦皺が刻まれたように入っている人にボツリヌス菌毒を打つと皺が取れ、その結果精神的にも穏やかになり、日常生活を幸せに送れるようになったと医師と患者本人がテレビで話していた。
これはなかなか面白い要素を含んだ話だと思った。
精神と肉体は表裏一体の関係にあるとよく言うが、皺が無くなるだけで精神に良い結果をそんなにも早くもたらすのは一体どうしてかと考えてしまう。
体が健康であるには、私は、筋肉のバランスと萎縮を主眼に置いている。その結果静脈が押さえられ血行が悪くなり、さまざまな症状として現れているのが大半の病だと考えている。
眉間に皺を寄せるにはかなり多くの顔の筋肉を使い、頭の自然な血行を偏らせると思う。そして、脳に作用してマイナスに作用する化学物質が出て精神的に問題が出ると考えたら、自然な血行を取り戻すのに眉間の皺を伸ばすことで治ると考えられないだろうか。
顔の筋肉の使い方で脳に作用できると思ってることに、真言がある。
般若心経の真言は、最後の部分にある。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
また修験者から弘法大師が若い時教えてもらった記憶に関する真言(虚空蔵菩薩の真言)がある。
ナウボウ アキャシャ ギャラバヤ オンアリキャ マリボリ ソワカ
弘法大師の真言は100万回唱えるそうだ。一日1万回で14時間かかる。ほとんど不可能に近い。それでも、歳のせいか物忘れをするようになってきたので、少しでも効くかと思い車の運転中とかに唱えている。
とにかく意味ではなく音らしい。その音の振動数が脳へ影響を及ぼすと考えられてるようだ。だから、真言はサンスクリット語に近い発音が良いとされている。般若心経も、一般的なギャテイギャテイは音読みなので上のように発音するのが望ましいというのを読んだことがある。
しかし音もあるが、筋肉の使い方も偏るのである部分の脳が発達すると考えられないかと思う。実際声に出してみると真言によって口や首の筋肉の動くところが全然違うことが分かってもらえると思う。
音に関係なく眉間の皺が無くなっただけで精神的に影響してるのだからそう考えて問題があるだろうか。
真言は唱えることで筋肉も変え、音でも脳に影響を与える方法なのかもしれない。
話がどんどんそれたが、ボツリヌス菌毒は筋肉の緊張を解くので眼瞼痙攣には有効かもしれないが、眼瞼下垂というどちらかというとだらりと伸びた筋肉に本当に有効なのだろうか。
私にはまぶたを下ろそうとする自然な状態の筋肉にボツリヌス毒を打ち自然な筋肉の働きを殺して一時的にまぶたが上がったとしか思えない。だから、元の木阿弥に戻ったのではないかと思った。
  


Posted by江龍武at 13:20 Comments(0) 思いつき

2007年10月29日

排泄物理論

純米酒の稿で、酒の酵母菌は自分でアルコールを作り出すくせにアルコールに弱いと書いたが、これと、当時日本から隠して持ち込んで飼っていたメダカの水作りからヒントを得て、菌の育成に関するウンコ理論とか排泄物理論と名付けた考えがある。
理論というほど大層なものではないが、権威がある感じがするのでそう言っている。
菌が作り出すものは、菌の排泄物でそれに対して菌は弱いというだけのことだ。排泄物による自家中毒のようなもので高濃度になると休眠するか突然高濃度になると死ぬというように決めた。
アルコール酵母菌はアルコールを作り、ワインなら14度で、日本酒なら18度ぐらいで休眠に入る。この差は菌が活躍している環境にあるようだ。いずれにせよ、20度にもなるとほとんど死ぬことになる。
糖分がアルコールになると、高濃度ではだめだが適当なアルコール度数なら今度はそれを食べる酢酸菌が活躍する。酢酸菌は酢酸5度ぐらいで活動を停止する。酢酸の次の菌のことは知らないが、とにかく細菌叢ではそのように菌の休眠と活動が繰り返されて平衡を保っているのだろう。
以上のような考えで、菌のコントロールは上手くいく。
例えば、水槽の水替えだが、最初の水位を保つように水を足していたら平衡が保たれるので何の問題もないが、水を替えたい人は最高で4分の1ぐらいが菌の平衡を保ち異常増殖をさせないために無難な量だろう。新しい水を入れることで、新しい水に含まれている栄養分とそれぞれの作り出した排泄物の濃度が薄まることとで、菌はまた休眠から覚め活動しだす。それが、短時間で終わるほどの活動なら問題ないが、数日にもわたると酸欠になり魚には辛い。餌のやり過ぎは菌にも餌をやってることになるので水が澄んでるように管理するのが平衡を保つ目安となる。にごっている時は何らかの菌が活発に活動している。
先日のEMが良いからと入れるのも危ない。新しい菌によって平衡が壊れるのでもし入れたいなら、魚を違うところに移してから入れることだ。それで10日ほど見ていたら分かるが、水が白濁してくることが多い。その間は新たな菌が増殖しまくってる時で、これまた魚には酸欠状態となるのでもし魚がいたら死ぬことになる。白濁がおさまって水が澄んだら新しい平衡状態になったから魚を戻しても問題はないはずだ。
根粒バクテリアが根にいるマメ科植物に窒素をきかすと枯れることが多い。母がエニシダの根元に草引き後の草を積み上げて随分と枯らした。緑草はすごい窒素分を供給する。根粒バクテリアは窒素固定菌だから、たぶん窒素肥料には弱い。
しかし、根粒バクテリアが死ぬか弱るのは分かるが、どうしてマメ科植物が枯れるのだろう。マメ科植物にも少し窒素を与えたほうが良くできることを思うと、窒素を根から吸収する力があるということだし枯れるのはおかしいと思うが、根粒バクテリアが死ぬとバクテリアの死体が導管に詰まって枯れるのだろうか。松枯れ病はマツノマダラカミキリ虫が運んだマツノザイセンチュウという線虫が仮導管に詰まって枯れる。それと同じようなことだろうか。それとも、根粒が腐ってそこからマメ科植物の根が腐り枯れるのだろうか。それともバクテリアの窒素固定で充分なところに窒素肥料を与えたので肥料やけという過剰栄養から起こる浸透圧により根から水が出て脱水で枯れるのだろうか。前提条件の窒素固定菌が死ぬと言うのが間違っていたら話にならないが、う~~ぅっ!答えが知りたい。とにかくマメ類を作る時は窒素肥料の与えすぎは厳禁である。
窒素固定菌ではこんな話もある。
南洋の原住民のお腹には窒素固定菌もいて、タロイモを食べていても筋肉質の体になるそうだ。それで、それを発見した学者が窒素固定菌を飲んだが、住み着かなかったそうだ。腸内まで生きてたどり着けるかどうかと言う問題もあるが、それは当たり前だと思う。成功するかどうかは分からないが、まず、たんぱく質を取らないような生活をしてその菌のために腸内を窒素分の少ない環境にしてやらないとたどり着けたとしても駄目だと思う。
畑の土作りもメダカの水環境も漬物も挙句の果ては口の中も腸のなかもいつも菌の存在を考えながら生活している。
(まだまだ充分考えが検証されてませんし知識不足です。間違ってる可能性大かもしれません。ご了承ください。)
  


Posted by江龍武at 14:27 Comments(0) 思いつき

2007年10月27日

お産

姪が昨晩9時ごろ女児を授かった。
夕方5時過ぎに義姉から電話があり、陣痛が始まったので病院に来ているという連絡があった。
予定日は22日だったのでまだかまだかと全員が思っていたので、やっと始まったかという思いだった。
今日聞いた話だと、その連絡の後、先生がまだまだ時間がかかると言ったので、姪の夫も義姉も長丁場に備え風呂に入ったり身支度をしに一度家に帰り、そして病院に戻ったらしい。ところが先生の予想を覆し、何とか出産に間に合ったというほどスムーズだったらしい。
この姪は二卵性双生児の双子の姉だが、昨年その妹の方も同じ病院でお産している。
そのときも先生や病院関係者全員の予想は当たらず、病院に入って直ぐに出産し、病院関係者がこんなこともあるんやとびっくりしたことがあった。
今回の姪はつわりがひどかったので気を何度も入れた。その妹の方は子宮口が早く開きだし先生が早産の可能性があると言ったので気で止められるはずと気を入れた。
まだ試した数が少ないので確かなことはいえないが、妊婦に気を入れておくとお産が楽になる可能性は大きい。
早産を止められると思ったのは、気の治療を始めてからまもなくのころ、流産の経験のある女性に再度流産しないように頼まれて試したことがあった。結果、その方は無事出産された。そのときはただ気を入れるだけで体のことをまだあまり分かってなかったので結果しかないが、姪の早産話の際には思ったことがある。
去年姪に気を入れたとき、腰のカーブが強くなっているように思った。というのは、背筋が縮んでいる感覚を持ったからだが、それこそが、お産が始まる引き金ではないかと考えた。
臨月にもなるとお腹の子が大きくなるので母体のお腹も前にせり出してくる。以前重心線ということを考えたことがあるが、その腰の所で重心線が背骨より外に出るぐらいになると子宮口が開きだすのではないだろうか。
それで、気を入れた後、姪に腰のカーブに気をつけるように言ったが、早産どころか予定通りの出産だった。
昔の人は、予定よりずいぶん遅いことが多かったと聞くが、以上のことから類推すると次のようになると思う。
まず栄養面で胎児が小さいからお腹のせり出しが遅い。さらに田舎では田植えとか低い調理台とか針仕事とか前かがみの仕事が多かったのでさらにそれを抑制した。その結果、陣痛の始まる引き金が引かれるのが遅くなり予定より遅い出産になる。
どう、皆さん思います?
もし、正しかったら、日頃の生活で、ある程度出産を安産にできる。
ところで、昨晩は満月だった。
人が生まれるときは満月の日が多く、人が亡くなるときは新月の日が多いと言われている。
姪の予定日もその影響で昨日まで延びたのだろうか。
自然の影響を受けながら生きていることを思い知らされた日でもあった。
  


Posted by江龍武at 12:56 Comments(0) 思いつき

2007年10月12日

1/fのゆらぎ

治療テープを作っていたことを書いたが、横浜のTさんは一日何時間も私のテープを聴いてくださるのでテープが一ヶ月ほどしかもたなかった。テープ作りが苦にならない時は数本作ってはカナダから郵送していた。
日本に帰って横浜の親友宅へ遊びに行った際は、隣のマンションにお住まいだったので必ず直接気をかけに行っていた。
あるとき、機材は用意しますのでMDに吹き込んでいただけませんかと頼まれた。あまりにテープが早くに駄目になるので気にしていただいたようだ。
それまでに1/fのゆらぎというのを新聞で読んでいて、それは心を和ませるらしい。モーツアルトの曲とか風の音とか小川のせせらぎ音あるいは金魚の泳ぐのを見ていてもそのゆらぎ効果があるそうだ。そして、それは電子音とかにはないというぐらいの知識があったものだから、アナログしかゆらぎは確保できないように思ってデジタルでは無理だろうとお断りしたことがある。何となくデジタルと言うと電子音とイコールなんて思ってしまっていた。
と言うのは表向きの理由で、それも確かにそうだが、昨日書いたように消耗するので出来るだけしたくないというのが本音だった。

これを書き出す前に、インターネットで調べてみたら、CDでも1/fのゆらぎは大丈夫なようだ。デジタルだからというのではなく、音源によるようだ。と手前勝手に解釈しているのだが興味のある方は各自調べてください。

そんなことが今頃分かって、やっぱりTさんに作ってあげたらよかったと後悔している。
それにしても、世の中デジタルばやり。2011年からはテレビ放送もアナログ放送はなくなることになっている。
私は時代劇が好きだが、カメラで撮影した当時の時代劇はなにか懐かしさがあり心が引き込まれる感じがあったが、今時のデジタル機器で作ったのはくっきりしすぎていて何かしっくり来ない。
巷で見るデザインもなにか冷たい。温もりが伝わってこない。平板な気がする。
デジタルだから1/fのゆらぎがないというのではないようだから、コンピューター処理のためか製作者の感性の故か、ゆらぎが足りないのだろう。そんな感じが生活の多岐にわたってあるように思う。
その感じが正しかったら、1/fのゆらぎが生活から減っていることになる。そしてそんなことだと、ぎすぎす、いらいらした殺伐たる社会になる。ニュースなどから実際なってきてるように思う。
これからは、誰もが生活にゆらぎを積極的に持ち込む努力がいるようだ。
そんなわけで酒を飲むわけではないが、やっと熱燗の恋しい季節になってきましたね。
  


Posted by江龍武at 17:26 Comments(0) 思いつき