2007年08月15日

お墓参り

朝8時半に実家に集合。9時に参っていただく おじゅっさん(檀家のお寺の住職、ちなみにうちは浄土真宗)を待つためだ。時間通り来てくださりお仏壇にお経を上げていただいた。神妙に手を合わした。
先日親戚のお墓参りのときも手をあわしたが、お盆は何度も手を合わす。
私は手を合わすという行為は、気をめぐらす観点からも身体に流れる微弱電流を調和させる意味でも宗教的な形とは別に非常によいことだと思っている。特に身体の左右のバランス(当然左脳右脳も含め)をとるのに良いのではないかと考えている。それで、トイレなどで手持ち無沙汰のとき手を合わしたりしている。左右の調和がとれるかどうか感じるようにしているだけで、ただ手を合わしている。
おじゅっさんがお帰りくださった後、いよいよお墓参りとあいなった。
実家のお墓は新家と土地を共有する私有墓地にある。一族の墓地というものだから墓地全部のお墓に花と線香を挿す。
墓石は85余りにものぼる。
まず前に参った家の花を抜き、それから皆で手分けして何も考えずにどんどん花を竹筒に入れていく。それから線香を入れる。蚊に刺されないように蚊取り線香を腰にぶら下げ手ぬぐいを首に巻き草刈のときといでたちはあまり変わらない。お墓参りというより労働に近い。
しかし、作業が終わった後は一面に花が飾られ綺麗なもので惚れ惚れとさせてもらえる。少し離れたところに自然石で出来た先祖代々の墓がある。最期にそこに別に取っておいた花と線香を供え完了となるのだが、そこには骨は入っていない。だが、なぜか先祖代々と書いてあるとしっかりと手を合わせてしまうのが不思議だ。
そして最初の墓群の所へ戻り全部に手を合わせるのは大変だし、知ってる身内から手を合わせていって終わりとなる。
帰り際、毎年兄と話すのは次はどこに埋めるかという話である。祖母でほぼ入口(実際は裏口に位置する。車で近づけるようになってから先祖代々の方からは行かなくなった。)まで来たので新しい墓石の列を作る時期に来ていて、今は都市計画で土葬はできないので埋めるのは簡単だが、美観的な観点からも調和を考えてということになる。埋める所がある間は一人ずつ小さな墓石がもらえる方針で臨んでいる
とにかく今年も無事お墓参りが終わった。


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