2007年12月13日

報恩講

9時過ぎに母屋に行った。
報恩講でおじゅっさんが参ってくださるということで、義姉からもちろん我々も参加するのが決まり事のように毎年連絡を受けている。
別にかしこまった服装をする必要もないので、行けばいいだけのことだが、正座を考えるとつい億劫になる。
おじゅっさんが母に境内で採れたギンナン一袋をお土産に下さった。
洗って、差し上げられるようにされるのに大変されたことだろうと、私もいろんな物を手作りしてはあげているので、我がことのように思われ、自然とありがたいことだという感情が起こった。
正座もそれなら頑張ろうという気になる。
それに、帰国当時は太っていたのでえらく辛かったが、今の体重だと練習したこともあってなんとか一時間は我慢できる。
正信偈(しょうしんげ)の本を渡してもらい、おじゅっさんにつらって唱えた。雰囲気を出して唱える節回しはなかなかにできるものではない。なんでもその道があるものだと毎回思っている。
途中で、携帯がなって退席することになったのは惜しまれる。迂闊にもマナーモードにしておくのを忘れていた。
そちらも緊急事態発生で大事だったのだが、待ってもらえないこともなかったし、今後は、携帯電話で邪魔されないように心しよう。
お参りの後、墓地分譲をされてるので宗派が違っても構わないのかとか檀家にならないといけないのかとか、知人が探していたので尋ねたら、このご時勢それではなかなか買い手が見つからないので別に制限していないということだった。
これは、知人に教えてあげられるし、おじゅっさんには営業してきますとお伝えしておいた。これといって、広告はされてないのでまだ売れ残ってるらしい。
人の物を誰かに紹介して話が成立するとなぜか嬉しい。これは、私の性癖というもので、カナダでその喜びを発見したのだが、才能があるのかそれが上手いことも自覚した。特に、何か探している人に相談を持ちかけられ、あの人はそれを持っているということを憶えていて、もしかすると売るかもしれないと話を持っていって、売買までいくとことのほか嬉しい。売買だけでなく、要らない人がいて、要る人に紹介できる無料のやり取りでも同様だ。当然これでお礼をもらうこともないしただ働きだが、ねらい目どおりになったときの喜びは何とも言えない。
日本に戻ってからは、世間付き合いをしていないので相談されることも少ないし、誰が何を持っているかという記憶の在庫も殆んどないので、そのチャンスはあまりないが、今回のお墓の斡旋は久しぶりの才能発揮となるかもしれないとわくわくしている。
午後は、いつもの通り父を病院に見に行った。
看護師さんのワゴンが病室にぽつんと置かれてあるだけで、誰もいないので、ワゴンにあった血中酸素濃度の測定器を無断借用して測ってみた。
最初、100という数字が出てびっくりした。最後は99で固定したが、今まで98が最高だったので、これも朝食抜きの結果かも知れないと思った。度々調べてみることにしよう。
妹の義母が今日から同じ病院に移ってきたので、早速様子を見に行った。
前の病院で拘束のため左手に硬直が起こったらしい。明日から気を入れてみようと思っている。
またまた病院内をうろうろすることになりそうだ。


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