2007年08月30日
本邦初公開
1991年5月10日ごろ前回書いたように日本に戻り、調べないと分からないが2週間か3週間滞在した。
バンクーバーから帰ると実家に着くのは大体午後6,7時になる。お土産をスーツケースから出したりしてるとすぐに晩御飯の時間になる。
食事しながら話すのは今回は当然、念力治療ができるようになったことと、手から金粉がでたことになるのが自然というものだ。
飛行機に長時間乗ると身体が水分をやけに欲しがる。だから、ビールも飲み疲れてもいるのでその日は話だけに終わったと思う。
次の日、母がコルセットを作ってもらったというほど腰を痛がってたので母に試してみることにした。当時はまだ手かざしの域を出ていないのでうつ伏せになってもらい石井先生のような声を出しながら腰の上に手をかざした。
終わった後、母が腰がびくっと浮いたように思ったと言い、ほんまに楽になったと言った。それから確かコルセットはお蔵入りになったはずだ。
兄は金粉に興味を示したので、出るといいけどと言いながらこぶしを作って開けてみたら運がいいというのかいつもの見慣れた金粉が輝いていた。兄も理科系の大学を出ている。私より弁が立つし論理的である。一回では納得しなかったのでその後も出して見せたと思う。最後には私と同じくそういうこともあるんだという感じで受け入れた。
滞在中に私の影響か兄にも姪のYにも金粉や銀粉や銅粉が出現した。実家ではひとしきりその話で盛り上がった。
母に治療した次の日から、母があの人もあこが悪いからしてみてくれないか、この人もここが悪いから診てあげてくれないかと言い出した。試したい盛りの時で、こちらにしたら願ったり叶ったりだ。次々と恐れを知らないど素人治療師は効かなくっても知りませんよ、変な声出しますけど笑わんといてくださいねと自己防衛をしながらやっていたのだが、意外というか当然というのか来る人来る人喜んで帰っていく。どう見てもお世辞ではないようだ。
何人も治療してるうちにと言うより日替わりのようなスピードで手応えがよくなる。
これは説明できないが、当時は圧力というような感じだった。圧力を強く感じてくると距離をとって試してみた。その距離が1メートルほどになった時、それまでは腰が痛いといわれると背後からやっていたが身体の厚みは30センチもないんだから前からできるのではないかと思いついた。そしてそれでも同じように効果があったのでそれ以来殆ど治療は前から受け手と対面してするようにしている。
対面式は受ける人と話しやすいしそのままスムーズに治療に入れるという利点がある。うつるんですの稿でも書いたが、まだこの時点では自覚はないが痛みなどが移ってくる。対面だと鏡写しなので左は右、右は左と反応が出る。だから詳細なことは分かりにくいのだろうが、心臓の問題が心臓に、肝臓の問題が肝臓に移ってくるというような危険性が薄れるだろうというのが私の見解だが、そんな利点もある。正中線にあるのや左右対称に存在するものはもしもらったら諦めるしかないと思っている。しかし、まだ病気もせず元気にしている。神に守られているようだ。
話は長くなるが、このことに関係していると思うので書いておく。
名医と言われる人はよくその専門の病気になるということを何かで読んだ。技術だけでなく自分の身体をかけて気の信号も治すから病気が治り名医と呼ばれるのだろう。ただそのため命を落とされることも間々あるようで私の考えが正しかったら病気をもらうことを防げるだろうにとそんなケースを目にするたびに思っている。
それはともかく治療をする人が毎日のように来る。母の人脈は広いので次々としていてはせっかく日本に帰ってるのに私の遊ぶ時間がない。
一計を案じた私は、日を決めて最後にまとめてさせてもらいたいと提案した。
そしてその日がやってきた。
バンクーバーから帰ると実家に着くのは大体午後6,7時になる。お土産をスーツケースから出したりしてるとすぐに晩御飯の時間になる。
食事しながら話すのは今回は当然、念力治療ができるようになったことと、手から金粉がでたことになるのが自然というものだ。
飛行機に長時間乗ると身体が水分をやけに欲しがる。だから、ビールも飲み疲れてもいるのでその日は話だけに終わったと思う。
次の日、母がコルセットを作ってもらったというほど腰を痛がってたので母に試してみることにした。当時はまだ手かざしの域を出ていないのでうつ伏せになってもらい石井先生のような声を出しながら腰の上に手をかざした。
終わった後、母が腰がびくっと浮いたように思ったと言い、ほんまに楽になったと言った。それから確かコルセットはお蔵入りになったはずだ。
兄は金粉に興味を示したので、出るといいけどと言いながらこぶしを作って開けてみたら運がいいというのかいつもの見慣れた金粉が輝いていた。兄も理科系の大学を出ている。私より弁が立つし論理的である。一回では納得しなかったのでその後も出して見せたと思う。最後には私と同じくそういうこともあるんだという感じで受け入れた。
滞在中に私の影響か兄にも姪のYにも金粉や銀粉や銅粉が出現した。実家ではひとしきりその話で盛り上がった。
母に治療した次の日から、母があの人もあこが悪いからしてみてくれないか、この人もここが悪いから診てあげてくれないかと言い出した。試したい盛りの時で、こちらにしたら願ったり叶ったりだ。次々と恐れを知らないど素人治療師は効かなくっても知りませんよ、変な声出しますけど笑わんといてくださいねと自己防衛をしながらやっていたのだが、意外というか当然というのか来る人来る人喜んで帰っていく。どう見てもお世辞ではないようだ。
何人も治療してるうちにと言うより日替わりのようなスピードで手応えがよくなる。
これは説明できないが、当時は圧力というような感じだった。圧力を強く感じてくると距離をとって試してみた。その距離が1メートルほどになった時、それまでは腰が痛いといわれると背後からやっていたが身体の厚みは30センチもないんだから前からできるのではないかと思いついた。そしてそれでも同じように効果があったのでそれ以来殆ど治療は前から受け手と対面してするようにしている。
対面式は受ける人と話しやすいしそのままスムーズに治療に入れるという利点がある。うつるんですの稿でも書いたが、まだこの時点では自覚はないが痛みなどが移ってくる。対面だと鏡写しなので左は右、右は左と反応が出る。だから詳細なことは分かりにくいのだろうが、心臓の問題が心臓に、肝臓の問題が肝臓に移ってくるというような危険性が薄れるだろうというのが私の見解だが、そんな利点もある。正中線にあるのや左右対称に存在するものはもしもらったら諦めるしかないと思っている。しかし、まだ病気もせず元気にしている。神に守られているようだ。
話は長くなるが、このことに関係していると思うので書いておく。
名医と言われる人はよくその専門の病気になるということを何かで読んだ。技術だけでなく自分の身体をかけて気の信号も治すから病気が治り名医と呼ばれるのだろう。ただそのため命を落とされることも間々あるようで私の考えが正しかったら病気をもらうことを防げるだろうにとそんなケースを目にするたびに思っている。
それはともかく治療をする人が毎日のように来る。母の人脈は広いので次々としていてはせっかく日本に帰ってるのに私の遊ぶ時間がない。
一計を案じた私は、日を決めて最後にまとめてさせてもらいたいと提案した。
そしてその日がやってきた。
Posted by江龍武at14:13
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治療師への道