2007年10月03日
骨髄移植
本当にMKさんとは縁があるように思った。
2回目の時からまた半年後のことだが、日本に妻と恒例のように帰っている時節になっていた。それで、帰国の準備をしていた頃、I夫人から電話があった。
I夫人とは一回だけでも珍しい寛解が2回目の急性転換からも寛解したという奇跡的な結果からだろう、その後お食事をご馳走になったり知人のKHさんを紹介してもらったり珍しいものを頂いたりしていた。
さて、今回の電話の件は、娘さんのMさんのことだったが、今回は良いニュースといえる。ついに骨髄移植のドナーが見つかって、移植手術を受けることになったというものだった。
ちょうど私も日本に行くのでそれじゃまた病院に体力をつけに寄せてもらいますと約束して日本に行くことになる。
今回も2週間のレールパスを用意した。
妻と一緒に親友の所へ遊びに行った時は、私だけMさんの入院している都立駒込病院へ行き夕方親友宅へ戻るか、前回と同じように日帰りをするということを今回も何度もすることにした。
駒込病院は前回何度も通ったので馴染みがあるが、今回は骨髄移植なので無菌室に入っておられた。
骨髄移植の場合、患者の骨髄を殺して新しいドナーの骨髄を入れるためある期間感染しないようにこのように無菌室に隔離する処置が取られる。
無菌室を見るのは初めてでめったに見られるものではないので興味津々だったが、反面なぜか敬虔な気持ちで入室した。その階全体が無菌室に当てられていて、エレベーターホールからドアを開けて入ると窓に沿った廊下状のところへと続く。見舞い客はそこから仕切りのガラス越しに無菌室にいるベッドの患者と壁に付けられた受話器で会話をするようになっている。ICUどころのものではない。
Mさんには私が石井先生の真似をして作った念力テープを差し上げていたのだが、よく聴いているといって私の訪問を喜んでくださった。
暫く状況説明を受けてから気を送った。気をいれるのにガラス越しでも遠隔治療というほどのこともないので何の問題もない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、骨髄移植は成功してMさんは元気になられた。
その後、カナダに来られた時、一緒に食事をしたり、日本に戻った時気を入れにお家にお邪魔したり、たまに電話でお話したりして親しくさせてもらっている。多少腎臓に治療の副作用として問題を抱えておられるが、今は同じ病気の方の相談に乗ったりしておられるようだ。
Mさんから聞いた話だが、駒込病院では当時骨髄移植の結果がはかばかしくなくどうしたものか悩んでいたそうだが、Mさんの成功でまた勇気づけられ頑張ることになったとお医者さんが言っていたということだ。
当時まだ下のお子さんは小学生だった。その子も今は成人している。本当に良かった。
(Mさんの話はこれで終わり)
2回目の時からまた半年後のことだが、日本に妻と恒例のように帰っている時節になっていた。それで、帰国の準備をしていた頃、I夫人から電話があった。
I夫人とは一回だけでも珍しい寛解が2回目の急性転換からも寛解したという奇跡的な結果からだろう、その後お食事をご馳走になったり知人のKHさんを紹介してもらったり珍しいものを頂いたりしていた。
さて、今回の電話の件は、娘さんのMさんのことだったが、今回は良いニュースといえる。ついに骨髄移植のドナーが見つかって、移植手術を受けることになったというものだった。
ちょうど私も日本に行くのでそれじゃまた病院に体力をつけに寄せてもらいますと約束して日本に行くことになる。
今回も2週間のレールパスを用意した。
妻と一緒に親友の所へ遊びに行った時は、私だけMさんの入院している都立駒込病院へ行き夕方親友宅へ戻るか、前回と同じように日帰りをするということを今回も何度もすることにした。
駒込病院は前回何度も通ったので馴染みがあるが、今回は骨髄移植なので無菌室に入っておられた。
骨髄移植の場合、患者の骨髄を殺して新しいドナーの骨髄を入れるためある期間感染しないようにこのように無菌室に隔離する処置が取られる。
無菌室を見るのは初めてでめったに見られるものではないので興味津々だったが、反面なぜか敬虔な気持ちで入室した。その階全体が無菌室に当てられていて、エレベーターホールからドアを開けて入ると窓に沿った廊下状のところへと続く。見舞い客はそこから仕切りのガラス越しに無菌室にいるベッドの患者と壁に付けられた受話器で会話をするようになっている。ICUどころのものではない。
Mさんには私が石井先生の真似をして作った念力テープを差し上げていたのだが、よく聴いているといって私の訪問を喜んでくださった。
暫く状況説明を受けてから気を送った。気をいれるのにガラス越しでも遠隔治療というほどのこともないので何の問題もない。
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そして、骨髄移植は成功してMさんは元気になられた。
その後、カナダに来られた時、一緒に食事をしたり、日本に戻った時気を入れにお家にお邪魔したり、たまに電話でお話したりして親しくさせてもらっている。多少腎臓に治療の副作用として問題を抱えておられるが、今は同じ病気の方の相談に乗ったりしておられるようだ。
Mさんから聞いた話だが、駒込病院では当時骨髄移植の結果がはかばかしくなくどうしたものか悩んでいたそうだが、Mさんの成功でまた勇気づけられ頑張ることになったとお医者さんが言っていたということだ。
当時まだ下のお子さんは小学生だった。その子も今は成人している。本当に良かった。
(Mさんの話はこれで終わり)
Posted by江龍武at12:08
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治療師への道