2007年10月02日

東奔西走

前回日本に行った頃から6ヵ月ほど経ったある日、MKさんのお母さんI夫人から電話があった。
久しぶりなので、Mさんはその後どうされてますかとお尋ねした。当然よい結果を期待して尋ねたのだが、そうではなかった。
実は、また娘が入院しまして・・・ということだ。
話によると、また急性状態になったらしい。それで、I夫人も近々日本に行くということだった。
小説でも嘘くさくてこんな展開はしないだろうが、丁度私もそのころ日本に行くことになっていた。
実は、(別の)Iさんから頼まれて飛行機代を出してもらって日本にご母堂の治療をしに行くことになっていた。Iさんとは以前バンクーバーに住んでおられたとき日本人経営のカラオケバーで知り合った。日本に帰られてからもバンクーバーに仕事で来る度に店に来ていただいてたので親交が続いていた。効かなかったら困るので・・・そういったのだが、それは仕方が無いという返事だし、Iさんのご姉妹も同意されてるそうだ。それなら2週間ということで引き受けることにした。
そんなことで日本に帰ったわけだが、Iさんのお母さんは新大阪駅の近くに住んでおられる。2週間の間できるだけ行く予定を立てていたし、東京にも行くので今度は2週間のレールパスを買っていった。滞在は3週間にしておいた。
Iさんと連絡をとり新大阪駅で待ち合わせ、家に案内してもらった。お母さんは80歳を超えておられたと思うが、しっかりとした方だった。昔のことで病名が思い出せないのが残念だが、2、3日に一回は行っていたと思う。
お母さんが終わると新大阪駅から東京に向かう。MKさんは今回最初入院されたのは前と同じ東邦大学病院だったが、東京都立駒込病院に代わったと連絡を受けていた。行き方も教えてもらってたのでJR田端駅で降り最初はバスに乗って行った。ぷらぷら歩くのが好きなので後の方はよく歩いた。
Mさんは顔のところをビニールテントのようなので覆い感染予防をされてたと思う。だから病室に入る時は、言われたとおりこちらも手を消毒して入っていた。
毛が抜けていたが明るく元気な方なので気丈に振る舞われており、その前向きな姿勢には何か教えられるものがあった。
Iさんのお母さんを2,3日に一回は診に行くから、親友宅で一泊か二泊してそこで親友関係を診て翌日新大阪に直接行くか、泊まらずに日帰りをするということを繰り返していた。
ある日Mさんを診たら肺がおかしく感じたのでそう伝えたが、お医者さんに私が言ったから調べて欲しいとは言えないことだ。次回行った時、Mさんは息が苦しいと言って調べてもらったと笑っていた。結果は肺炎になっていたということだった。これには感謝してもらったし、こちらとしても当たった事もあって本当に嬉しかった。
2週間のレールパスを最大限利用してカナダに戻った。
Mさんはまた今回も寛解された。Iさんのお母さんは孫の結婚式に東京まで出かけられたという報告をカナダでそれぞれ受けた。
(つづく)


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