2008年02月10日
丁半博打としか・・・
朝起き掛けにカナダの友人Yさんが電話してきた。
4日ほど前カナダから電話で相談を受けたのだが、その内容というのが難しいことだった。
お父さんが、危篤状態で病院に運ばれたが、88歳という高齢なので、人工呼吸器を着けたほうがよいのかどうかということだった。
お医者さんは、70歳台だったら躊躇せず装着するのだが、ご高齢ということを考えるとどうするかはご家族で決めて欲しいと判断を任せたので、日本にいる妹さんが姉であるYさんに聞いてきたらしい。
Yさんは、私の父のことを知ってるので尋ねてきたのだが、父の場合お医者さんが着けても助からないと思ってた節はあるものの、自分の判断で装着してくれたので、家族がどうしようと悩むことがなかった。
妻のお父さんの時も、人工呼吸器を着けたときがあったが、それは鎮静剤投与の失敗のようなもので、それまで元気にされてたから着けるのが自然の流れだった。
ただ、胸水を抜くと調子が悪くなるのでその管を抜いてもらおうとしたとき、抜くと胸水が溜まって心臓を圧迫して亡くなる可能性が高いがどうします、と判断を任されたときがあった。
この時も、悩んだ。
医療について素人判断をするというのは、それも死ぬ可能性があると言われてするのは、悩むというより苦しい。殆どの場合、お医者さんが考えるようにしてください、と分からないことだから考えることから逃げるだろう。
妻の父の場合は、人間の身体はそんなことぐらいでは死なないと私の気にかけることにして管を抜いたが、どのお医者さんの言葉も悪い選択をしたといった風に感じられたほどのことだった。
この結果は私の判断が正しく、一年半後ぐらいに老衰のように静かに息を引き取るまで、お医者さんが生きてるのが不思議という顔を定期検診で病院に行くたびにしていたが、自分の思った結果と違うのでなんにもそれについてはコメントもなかった。
私は、素人だが多くの末期の患者さんを見てきたので、まだ一般の方よりはよく知っていると思うが、それでもどうしたらよいか答えはない。気で治りますと言えれば悩まないのだが、そんなことがあれば誰も死なない。
ただ、私の父もまだ生きているし、妻のお父さんもお医者さんの予想に反して生きていた。
二人とも、いわゆる延命処置というようなことにはなってない。
そんな可能性もあるが、実際世の中には延命処置の方も多いし、どう答えていいか分からなくなる。
始めから答えが分かっていたら悩まないが、延命処置になるか、かなりのとこまで治るかは出たとこ勝負、まるで丁半博打と変わらない。
Yさんには、常識的だが、装着を勧めた。私がからめるので延命処置にならないと思うことにした。
お父さんがそんな場合のことを意思表示していなかったというミスにつけ込み、こちらの言い訳は立つ。Yさんもとにかく生きてるお父さんに会える。もしかすると治る可能性もある。お父さんにとっては、残されたものが世話をしたと納得するための、最後のお勤めでもあるかもしれない。病院に運ばれた以上は、見殺しにはしにくい。私の父を見ていると、今の状態は辛いようでもないし受け入れているようだ。
そんないろんなことを言って、着ける方を勧めた。
日本に戻ってきたYさんの電話によると、意識が戻ったとき、お父さんはそんなことをしたことに怒っているようだったらしいが、ICU内のラジオの音がうるさいとか他にも気に入らないことを書いたりされてるとのことだ。
私は、以前一度お父さんに気を送ったことがあるので、カナダから一報をもらったときイメージで送り始めたが、頭頂がびりびりして開く感じをもった。其処が開くと駄目なような気がして、閉じるように送ったのだが、これは初めての経験だった。それで、お父さんの命がつながったかどうかは分からないが、もしそうならお父さんには余計なことをしてと叱られることだろう。
私としては、忘れてはならないと思える貴重な経験をさせていただいたので、お礼が言いたい。
4日ほど前カナダから電話で相談を受けたのだが、その内容というのが難しいことだった。
お父さんが、危篤状態で病院に運ばれたが、88歳という高齢なので、人工呼吸器を着けたほうがよいのかどうかということだった。
お医者さんは、70歳台だったら躊躇せず装着するのだが、ご高齢ということを考えるとどうするかはご家族で決めて欲しいと判断を任せたので、日本にいる妹さんが姉であるYさんに聞いてきたらしい。
Yさんは、私の父のことを知ってるので尋ねてきたのだが、父の場合お医者さんが着けても助からないと思ってた節はあるものの、自分の判断で装着してくれたので、家族がどうしようと悩むことがなかった。
妻のお父さんの時も、人工呼吸器を着けたときがあったが、それは鎮静剤投与の失敗のようなもので、それまで元気にされてたから着けるのが自然の流れだった。
ただ、胸水を抜くと調子が悪くなるのでその管を抜いてもらおうとしたとき、抜くと胸水が溜まって心臓を圧迫して亡くなる可能性が高いがどうします、と判断を任されたときがあった。
この時も、悩んだ。
医療について素人判断をするというのは、それも死ぬ可能性があると言われてするのは、悩むというより苦しい。殆どの場合、お医者さんが考えるようにしてください、と分からないことだから考えることから逃げるだろう。
妻の父の場合は、人間の身体はそんなことぐらいでは死なないと私の気にかけることにして管を抜いたが、どのお医者さんの言葉も悪い選択をしたといった風に感じられたほどのことだった。
この結果は私の判断が正しく、一年半後ぐらいに老衰のように静かに息を引き取るまで、お医者さんが生きてるのが不思議という顔を定期検診で病院に行くたびにしていたが、自分の思った結果と違うのでなんにもそれについてはコメントもなかった。
私は、素人だが多くの末期の患者さんを見てきたので、まだ一般の方よりはよく知っていると思うが、それでもどうしたらよいか答えはない。気で治りますと言えれば悩まないのだが、そんなことがあれば誰も死なない。
ただ、私の父もまだ生きているし、妻のお父さんもお医者さんの予想に反して生きていた。
二人とも、いわゆる延命処置というようなことにはなってない。
そんな可能性もあるが、実際世の中には延命処置の方も多いし、どう答えていいか分からなくなる。
始めから答えが分かっていたら悩まないが、延命処置になるか、かなりのとこまで治るかは出たとこ勝負、まるで丁半博打と変わらない。
Yさんには、常識的だが、装着を勧めた。私がからめるので延命処置にならないと思うことにした。
お父さんがそんな場合のことを意思表示していなかったというミスにつけ込み、こちらの言い訳は立つ。Yさんもとにかく生きてるお父さんに会える。もしかすると治る可能性もある。お父さんにとっては、残されたものが世話をしたと納得するための、最後のお勤めでもあるかもしれない。病院に運ばれた以上は、見殺しにはしにくい。私の父を見ていると、今の状態は辛いようでもないし受け入れているようだ。
そんないろんなことを言って、着ける方を勧めた。
日本に戻ってきたYさんの電話によると、意識が戻ったとき、お父さんはそんなことをしたことに怒っているようだったらしいが、ICU内のラジオの音がうるさいとか他にも気に入らないことを書いたりされてるとのことだ。
私は、以前一度お父さんに気を送ったことがあるので、カナダから一報をもらったときイメージで送り始めたが、頭頂がびりびりして開く感じをもった。其処が開くと駄目なような気がして、閉じるように送ったのだが、これは初めての経験だった。それで、お父さんの命がつながったかどうかは分からないが、もしそうならお父さんには余計なことをしてと叱られることだろう。
私としては、忘れてはならないと思える貴重な経験をさせていただいたので、お礼が言いたい。
Posted by江龍武at20:20
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